複雑になった、宇宙開発の意思決定
2012年から14年まで日本の宇宙政策の司令塔である宇宙開発戦略本部の事務局長を務めた。
就任した時は民主党政権で、当時の担当大臣だった古川元久さんから話がありました。事務局長の部屋はありましたが、非常勤のような格好で、私がいろいろなことを決められるわけではありません。正直なところ、あまり居心地はよくありませんでした。
宇宙開発戦略本部や専門家が提言する宇宙政策委員会は、ばらばらだった各省庁をまとめて宇宙政策を決めるために作られました。米国ではブッシュ政権の時期に月探査の計画が浮上、その後のオバマ政権では節約へと方針転換します。日本の宇宙政策は、残念ながら後手後手だったと思います。
ただ各省庁の上に設けられた組織なので、宇宙開発の現場から見ると新たな手続きが加わる格好です。東京大学の附属研究所だったころは大学の中ですんでいた話が、JAXAの中で議論してから文部科学省に行き、さらに宇宙開発戦略本部まで話を通さなければなりません。新しい試みをする点ではプロセスが増えて減速していると思います。はやぶさのプロジェクトは当時の担当だった文部省がリスクを承知で承認しましたが、今ならば承認してもらうのにもっと苦労したかもしれません。
[日経産業新聞 2020年6月10日付]
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