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ニッキィの大疑問

渋沢栄一の再評価進む 「私益=公益」の思想に共感

2021/8/23

ニッキィの大疑問

パリでの見聞が渋沢の視野を広げた(写真はイメージ)=PIXTA
パリでの見聞が渋沢の視野を広げた(写真はイメージ)=PIXTA

新しい1万円札やテレビドラマをはじめとして、最近、渋沢栄一の名前をよく見かけるようになった気がするわ。明治の偉人ならほかにもたくさんいると思うのだけど、どうして彼なのかしら。

渋沢栄一について玉利伸吾編集委員が長井美有紀さんと岸清香さんに解説した。

長井さん「いまなぜ渋沢なのでしょうか」

どうすれば持続的な経済成長ができるかなど、いまの世界が抱える難しい問題を解くヒントが、その生き方にあるのではないかと多くの人が注目しているのです。

「日本資本主義の父」と呼ばれた彼は明治以降、銀行や交通、製紙など約500社の設立、運営に携わりました。この人がいなければ、私たちの生活はずいぶん違っていたといわれるほどです。一方、貧しい人々の救済など社会福祉や慈善活動にも取り組みました。その数は約600ともいわれます。

7月、五輪の開会式で来日したアルメニアのアルメン・サルキシャン大統領が、渋沢旧宅跡の渋沢史料館(東京・北)を訪れ、「国の恩人だ」と感謝のメダルを贈りました。約100年前、オスマン帝国(現在のトルコ)に迫害された難民のために多額の寄付金を集め、届けたことへのお礼でした。国際人道支援の先駆者でもあったのです。

岸さん「彼の独自の発想はどこからきたのでしょう」

幅広い活動の底流に、自ら「論語と算盤(そろばん)」「道徳経済合一説」と呼んだ考え方があります。自分だけがもうかればいいという発想では、いずれ行き詰まる。みんなの力を合わせた事業が社会の利益につながり、みんなが豊かに暮らせるようになる。経済活動は個人の利益と同時に公益もめざすべきだ。だから、企業には社会貢献が欠かせないというのです。

渋沢は幕末期、埼玉の豪農の家に生まれました。父母はともに慈悲深く、困窮者の世話をよくしていたといいます。彼も同じような人柄で、世の中を良くしたい、日本を強い豊かな国にしたいと願い、その役割を担う武士になろうと志しました。

幼少時から論語などの中国古典に親しみ、経済と道徳の問題を考えるうちに、だんだんと「道徳経済合一」という考えを持つようになっていったようです。

長井さん「会社をとにかくつくったイメージです」

徳川幕府に仕えると、パリ万博への使節団に加わって、フランスに渡ります。そこで「合本組織(株式会社)」という仕組みに出合います。社会から広く集めたお金を元手(資本)にして、銀行などの会社をつくり、社会的に意義のある仕事をする。これこそが「道徳経済合一説」を具体化できる仕組みでした。

フランスでは合本組織の仕組みを使って、株式会社、銀行、鉄道などが次々生まれていました。近代資本主義を間近に学んだことが、日本経済の出発点になったのです。

日本に帰ると徳川幕府が倒れていましたが、本来、日本を立派な国にしたいという考えがあるので、明治政府の大蔵省に入り、貨幣や租税、近代的な銀行などの整備を進めます。民間に転じると、パリで開眼した合本組織を使って近代化に必要な会社を次々につくっていくのです。

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