1歳から5歳まで、岡山県倉敷市の日本家屋で父の両親と暮らした。流しの前に立つ母と祖母の後ろ姿。かまどでまきが赤く燃える。土間の上がり口にぺたんと座り、大好きな本を読む幼い自分。それが台所の原風景だ。

高校教師の父が建てた新居では、妹も含め家族4人で堅実な生活を送った。運動会の巻きずし。冷蔵庫を開けると目に飛び込む自家製プリン。「母はすべて自分で作る人。料理が好きで、すごく上手」

食卓は四季の移ろいとともに更新されていく。思い出深いのは桃の節句などに2日がかりで作るちらしずしだ。かんぴょうを水でもどし、しいたけやホウレンソウ、ゆでたエビなどの具材がそれぞれ皿に盛られ、平松さんの勉強机まで占領した。

酢の物も母の得意料理。「あまり酢の味がたっていない、とてもおだやかな味」。キュウリにタコやおじゃこ、ミョウガとかを日替わりで合わせる。毎日食べても飽きない工夫。「そこには明らかに母の感情があった」。家族のために食卓を整える心遣いを、子供心に「ありがたい」と思った。その「感情」は自分も大切にしてきたつもりだ。

ちらしずしも、酢の物も、いまだに味を再現できない。記憶は鮮明にある。だから今も、食べながら「ああ、全然違うな、と思う。この溝は絶対埋まらないんだな、と」。それでいい、とも思う。「少し切なくて滑稽(こっけい)だけど、懐かしい味って、そうやって思い続けるものなんでしょうね」

しばらく前、娘に「おばあちゃんの料理で一番好きなのは何?」と聞いた。即座に「お酢の物」と返ってきた。「なんでもないけど、すごいおいしいよねって。酢の物の思い出なんて話したことはないのに」。思わず鳥肌が立った。何十年も隔てた味の記憶が,瞬く間にひとつにつながるイメージが目に浮かんだ。

【最後の晩餐】 煮えばなのおかゆ。すごい好きで、今も朝、時々作ります。生のお米からゆっくり時間をかけて。おかずはなくてもいい。一粒一粒が花開いたような、穏やかで吸い込まれそうな世界がおわんの中にある。それを一口ずつ、体の中に取り込んでいく実感がありますね。

タイの魂味わえる料理

「ぷあん」のカオソイ(東京都杉並区)

平松さんが幾度となく訪れ、現地の味を知り尽くすタイ。「この店の料理にはタイの魂があるから」と、10年以上通うのが西荻窪の「ぷあん」((電)03・5346・1699)だ。調理を担当する広戸レノーさんの出身地、チェンマイの料理がメイン。土・日限定の麺料理、カオソイ(1050円)はまろやかなココナツミルクスープがカレーの風味と溶け合い、辛さは抑えめ。鶏肉は口の中でほどける柔らかさ。「初めてチェンマイで食べた時に感激した」おいしさがそのまま味わえる。

以前、同じ店で働いていた店長の亀川淳子さんとレノーさんが2003年に開いた。ぷあんはタイ語で「友達」の意味。互いに寄せる信頼感がこぢんまりした店の空気を和ませる。コロナ禍でも次々ひねり出す日替わりメニューも試してみたい。

(名出晃)

ひらまつ・ようこ 1958年岡山県生まれ。東京女子大卒。食や生活文化、文芸をテーマに著書多数。2006年「買えない味」でBunkamuraドゥマゴ文学賞、12年「野蛮な読書」で講談社エッセイ賞。近著に「下着の捨てどき」(文芸春秋)。写真は西荻窪の小高商店にて。

[NIKKEIプラス1 2021年7月31日付]