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「はやぶさ」は打ち上げ直前まで問題が山積していた

「はやぶさ」は打ち上げ直前まで問題が山積していた

エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第9回では、「はやぶさ」プロジェクトが立ち上がった時期を振り返ります。

◇  ◇  ◇

1995年に文部省の宇宙開発委員会で承認を受けて、正式に小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトがスタートする。

米航空宇宙局(NASA)との共同研究会でタンカを切った以上、そのまま放っておく訳にはいきません。93年に宇宙科学研究所(現JAXA)の宇宙工学委員会にワーキンググループを作って具体的な検討を開始しました。イオンエンジンをはじめ課題も多く、必ずプロジェクト化される自信があったわけではありません。シナリオを作って国際会議で発表、資料をそろえて説得を続けました。

95年に宇宙開発委員会に提案するための宇宙研内部での選考が行われました。はやぶさは私の上司だった上杉邦憲教授がプレゼンテーション。選考の結果、6カ年計画として要望することになり、8月の宇宙開発委員会で正式に承認されました。宇宙研にはJAXAのプロジェクトマネージャのような職はなかったのですが、言い続けてきたこともあり自然とリーダーになりました。

当時はバブル崩壊後の不況で宇宙関係予算も縮小されていました。承認されたと聞いて、宇宙研の先輩の松尾弘毅教授に「本当ですか」と聞き返したほどです。宇宙開発委員会がリスクの高さを認めながら「工学実験機の新しい挑戦を推奨すべき」と評価してくれたことに感謝しています。

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