土佐の豊かな食材が音楽活動の力 歌手・岡本真夜さん
食の履歴書
つらいときも明るく前を向こうよ――。恋や友情、夢を歌う岡本真夜さん(47)の声やメロディーは聴く人にそっと寄り添い、背中を押す。高校時代までを過ごしたふるさと高知の味、子育てで腕を上げた手料理。デビューから26周年、旺盛な食欲が音楽活動を支えてきた。
「30年残れるアーティスト。デビュー時のその目標までもう少し」。2020年、歌手生活25周年を迎えた。友達を応援するために作ったデビュー曲「TOMORROW」が出たのは1995年。「涙の数だけ強くなれる」との歌詞が今も幅広い世代を勇気づける国民的ヒット曲だ。
歌手への夢を抱いて高知県から18歳で上京し、下積みでは自身も涙を流した。幼い時からピアノを習い、クラシックの音楽家を夢見た。高校時代にドリームズ・カム・トゥルーに憧れて歌手の道を進もうと決め、親代わりに育ててくれた祖父母の大反対を押し切って東京に出てきた。
高知はカツオ消費量が全国一だ。「お母さん」と呼ぶ祖母の料理は朝、昼、晩の3食にカツオがあった。タタキや刺し身はもちろん、刻んで味噌汁に入ることも。「カツオには飽き飽きした」。そんな18歳が東京で一人暮らしを始め、チャーハンやカレーを見よう見まねで作るように。
アルバイトをしながらボイストレーニングをする日々。東京で努力すれば夢がかなうと新しい生活を始めたが、スーパーで見たカツオを見てホームシックに襲われた。「高知で当たり前のように食べていたカツオは特別に新鮮だったんだ」と故郷への思いがわき複雑な気持ちにもなったが、送り出してくれた家族を思うと、後には引けなかった。
振り返れば、風光明媚(めいび)な四万十川の近くで生まれ育ち、ユズなどのかんきつ類、アユやウナギなど魚も豊富だった。「高知の豊かな食材が私の健康をつくってくれた」と改めて感謝の気持ちがわいた。18年に県の観光特使になると、地元の雄大な自然や食物の味わい深さに気付くように。都内のスーパーで高知産のナスやショウガを見つけると必ず手に取る。
親族が集まって囲む「皿鉢(さわち)料理」の風景も思い出深い。刺し身や卵焼き、煮物、揚げ物から甘味まであらゆる料理を大皿に盛る土佐の郷土料理で、宴会好きの地元の気質を象徴する。大人も子どもも我先にと箸(はし)を伸ばすなか、「大好きな唐揚げを早く取らねばと狙っていた」と懐かしむ。今も友人やスタッフとの会食が好きで、楽曲作りのヒントを得ることも。「食事をして他愛もない話をすると、ストーリーを思いつく」という。
旺盛な食欲は祖母譲りかもしれない。98歳になった高知県在住の「お母さん」は好物の刺し身をペロリと平らげ、誕生日にはタイの塩焼きやケーキも食べ尽くす。コロナ禍で1年以上会えないが、「食べることが生きがいの母。生きていてくれるだけでありがたい」と祈るように話す。
16年からはピアニスト「mayo」としても活動を始めた。自然災害が起きるたび「TOMORROW」を復興の応援歌と捉える場面が多いなか、東日本大震災の被災地で「まだ歌を聴く気になれない」との複雑な声も耳にした。どんな心模様にも寄り添えるピアノ音楽を奏でたいとの思いに、幼少期に抱いたピアニストの夢も交錯した。
コロナ禍でも「私がやるべきことは曲作り」と言い、自宅で歌い、ピアノを弾く。作詞作曲を「ものづくり」と表現し、ストレスを感じる作業に苦手意識もあったというが、在宅で自然とメロディーが浮かび上がる瞬間が増えた。「26年間音楽活動を続けてきた習慣の力かな」と笑う。
おうち時間の充実も背景にある。「最近は料理が本当に楽しいと思えるようになった」。動画レシピでデザート作りに次々と挑戦し、ラテアートの腕も上げた。
26歳で息子を出産してからは、母親の顔が加わった。コンサートなどで全国を飛び回っても、食事だけは必ず手料理をと心がけた。
高校卒業まで毎朝弁当を作り、ツアーに出るときはおかずを作り置きした。子どものころ「お母さん」が絶えず手作りでご飯を作ってくれたのと同じように我が子にもしてあげたいという思いだった。
7月にはコロナ禍で延期になっていた25周年コンサートを行う。本番前の体力づくりには「とにかく肉を食べる」。好物の唐揚げが定番で「油分が歌い手の喉を潤すと聞いたので」。素直さとこだわりが混ざった言葉に、食と音楽への深い愛情がにじみ出た。
【最後の晩餐】 ウニイクラ丼と決めています。イクラは子どものころから好きで、ウニの味は20代になってから東京で知りました。おすし屋さんで初めて食べて「こんなにおいしいんだ」と感動。ツアーで北海道に行くときも必ず食べます。高価ですし、ご褒美のような丼です。
卵かけご飯も欠かさず
高知市に帰省するたびにはりまや橋近くの居酒屋「一八の食家」((電)088・826・1551)を同級生や仕事のスタッフと訪れる。岡本さんが「地元に帰ったら必ず食べたい」と絶賛するのが四万十鶏のザンギ(850円)。店主の池沢伸将さんによると、四国では1羽をぶつ切りにして揚げた鶏をザンギと呼ぶという。
カツオの刺し身やタタキ(1500円前後)も定番だ。鮮度にこだわり、高知・久礼港などで当日水揚げされた「日戻りカツオ」を扱う。地元の酒蔵から厳選した日本酒もそろえる。
「飲んでもしっかり食べる」と話す岡本さんらしく、ブランド鶏「土佐ジロー」の卵かけごはん(650円)もお気に入り。ふわふわに泡立てた白身の上に黄身をのせ、しょうゆで食べるクリーミーな味わいだ。
(松浦奈美)
[NIKKEIプラス1 2021年6月26日付]
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