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宇宙科学研究所の上杉教授(左)と

宇宙科学研究所の上杉教授(左)と

エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第8回では、挑戦的な「サンプルリターン」計画の発端を明かします。

◇  ◇  ◇

小惑星探査機「はやぶさ」の構想は、打ち上げの18年前の1985年にさかのぼる。

鶴田浩一郎教授が主宰して宇宙科学研究所(現JAXA)でサンプルリターン研究会を開き、小惑星から岩や土壌を持ち帰る可能性を議論しました。85年はようやくハレー彗星(すいせい)探査機「さきがけ」を打ち上げた年です。当時は「とうていできない」という結論で研究会は継続せず、この構想は眠ったままになっていました。

これを思い出させたのが90年頃から始まった宇宙研と米航空宇宙局(NASA)との共同勉強会です。それまでに「さきがけ」などで協力した経緯があり、情報交換して共同計画を立てようという狙いでした。日本側は上杉邦憲教授が中心になり私のような30代の若手も多く参加しました。

ここでまずテーマに上がったのが、彗星の尾を通過して吹き出したチリを採取し、地球に持ちかえる計画です。NASA側の検討から始まり、ずいぶん考えましたが当時の日本のロケットでは無理という結論でした。後にNASAが単独で計画を実行しました。

もうひとつは小惑星に接近して観測する小惑星ランデブー計画です。日本からの提案で、小惑星に着陸してサンプルを持ち帰るはやぶさの計画に比べると数段容易な、いわば初心者向けの計画でした。火星や土星などと違って、NASAも探査していない小惑星なら日本の独自性を発揮できるという狙いもありました。

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