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大学院ではハレー彗星探査機「さきがけ」の開発に取り組んだ(右から2番目が川口氏)

大学院ではハレー彗星探査機「さきがけ」の開発に取り組んだ(右から2番目が川口氏)

エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第6回では、日本初の惑星間探査機に携わった頃を振り返ります。

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ハレー彗星(すいせい)探査機「さきがけ」は日本初の惑星間空間探査に成功する一方、延長ミッションでは苦杯をなめた。

さきがけは1985年1月8日、開発されたばかりのM3SIIロケット1号機で打ち上げられ、86年3月にハレー彗星に約700万キロメートルまで接近しました。76年ぶりに地球に接近するハレー彗星を国際協力で観測しようと、欧州宇宙機関(ESA)や旧ソ連とともに連続して探査機を送り込む「ハレー艦隊」の一翼を担いました。

とはいえ、日本は地球から遠く離れる惑星間探査はこれが初めてで、ハレー彗星のまあまあ近くまでいければいいという初心者向きの計画でした。米航空宇宙局(NASA)などの精密な計画に比べると「まだまだだな」という思いがありました。

ハレー彗星の探査に成功したさきがけは、まだ機能が生きていたので、別の彗星探査に再利用する計画が持ち上がります。検討してみると、地球の重力を利用して軌道を変えるスイングバイを2回行えばジャコビニ・ツィナー彗星にいけることが分かりました。

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