社会のためにええもんつくる ミズノのサステナビリティ

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大阪市ミズノ本社1階に展示されたシューズ。あらゆる選手のパフォーマンス向上に貢献してきた

米メジャーリーグ。オーガスタのマスターズ。海の向こうで大活躍する日本人選手のニュースが、コロナ禍で疲弊するこの国に希望と元気をもたらす。多くの子供が憧れるアスリートを輩出する日本は世界有数のスポーツ大国。その発展の歴史をひもとくと、1人の起業家の存在が浮かび上がる。ミズノ創業者、水野利八その人だ。国民の身体と精神の健康を増進するスポーツ産業の重要性を強く信じ、「用具」の開発と普及の「場」の整備に生涯をささげた。「ええもん」を作り続け、スポーツ振興を通じて社会に貢献し続ける。自社の維持発展が人々の幸せにつながる。その「サステナビリティ」の哲学が、世界をワクワクさせる新たな価値を創造し続けている。

2020年の夏、ミズノは同社最高の反発力を持つソール新素材「ミズノエナジー」を発表した。蹴り出し、ジャンプといった体重移動のエネルギーを効率よく反発力に転換することで、トップアスリートをはじめとしたユーザーのパフォーマンスを最大限に引き出すことができる。ランニングをはじめ、あらゆるカテゴリーのシューズに搭載できる。海外ブランドも含めた競争激化のシューズ業界における、ミズノ渾身の自信作だ。

この新素材、もともとはシューズ用に開発されたものではなかったが、ある日の会議で若手社員がシューズ用にチューニングした新素材の上にボールを落として反発を披露した。他の素材と異なり、何度もボールが弾み続ける様子を見た幹部の間からどよめきが起こった。新素材を搭載したサンプルシューズを履き、「これ、いつ発売する?!」と話が展開したのだ。

ミズノエナジーの特徴を表現したコンセプトモデル(上)。(下)は1991年世界陸上東京大会で世界新記録を記録した陸上スパイク

「ミズノエナジーは研究開発部門が日々黙々と努力を続けた末に生み出した、まったく新しい素材です」。創業者・水野利八の孫である水野明人社長は、開発エピソードを語りながら目を細める。「我々はシューズだけではなく、アパレル・用具など様々な商品を開発しています。野球やゴルフなどの用具開発で培った反発に関する知見が、存分に生かされています」

「ミズノエナジー」の開発にかけた時間は約2年。そもそも利八は1938年、セレクト科学研究所(現 グローバル研究開発部)を開設し、いちはやく材料開発やアスリートの体の動きの測定・分析に着手。開発現場に合理性と多角的な視点を植え付けた。その普遍的なイノベーションの気風が、現代、そして未来の技術開発を力強く支える。

異なるスポーツの領域で得た知見の統合。斬新なアイデアと創意工夫。これが利八から引き継がれてきたミズノの「ものづくり」のスピリットなのだ。

水野社長はこう説明する。「違うアプローチでやる、いろんな組み合わせでやる、用途を変えて考えてみる。すると、従来とはまったく違うものが生まれてくるんです」。例えば軟式野球バットの大ヒット商品「ビヨンドマックス」(2002年発売)。金属と木という従来素材を使う発想を捨て、ウレタン素材を利用したことで飛距離に革命をもたらした。これも開発者が偶然テレビで、ぶつかり合う風船が大きく弾む映像を見て、柔らかいものに柔らかいものをぶつければ高い反発が得られるというアイデアがひらめいたという。

「運動は健康に直結しますし、アスリートの活躍を見ると感動や勇気をもらえる。前向きに生きる精神を社会にもたらすところにスポーツの価値がある。閉塞感に満ちた世の中ではスポーツの役割はとても大切」と話す水野明人社長

ミズノのものづくりの歴史は、進取の精神と創意工夫の積み重ねである。前身の「水野兄弟商会」は利八と弟・利三によって1906年(明治39年)に大阪で創業した。利八の奉公先であった繊維業のノウハウを生かし、最初は学生向けの靴下やシャツなどの洋品雑貨を販売。後に運動服装(スポーツウエア)を手掛けて成功した。

1913年には運動用具の本格生産に着手。中核は野球のグラブやボールだった。各地から腕利きの職人を呼び寄せて米国製ボールを解剖し、グラブの染めや縫い方ひとつに研究と工夫を重ねた。硬式球の反発力の基準を定めるために実験を繰り返し、業界に規格統一を提唱した。ボールの品質のばらつきが野球の振興を阻害すると考えたのだ。1920年~30年代にはスキー板やゴルフクラブの生産を開始し、舶来品に勝るとも劣らない品質の製品を作り上げた。

敗戦後、復興が進むなかでスポーツへの関心が高まり、用具は飛ぶように売れた。新規参入が相次ぎ、なかにはヤミ市場から安価な材料を仕入れて革製グローブやラケットを生産して売りさばくメーカーもあった。だが、利八は頑としてヤミに手を出さなかった。

利八は社員にこう説いたという。「スポーツは決して亡びはしない。しかし目先のボロいことしたスポーツ用品屋は亡びます。がまんしなはれや。ええもんつくんなはれや」(「スポーツは陸から海から大空へ 水野利八物語」より)

1938年から社内に研究拠点を設けて用具の研究を重ねる(下)。一流の技術者もミズノの財産だ

ようやく手に入れた正規の素材で製品を作り、惜しげも無く競技団体に提供した。そして使い勝手を聞いては次の製品の研究開発に意見を反映させていった。目先の利益は追わず、品質が保証できる製品のみを扱うかたくなさは、利八がより長期的な視点でスポーツ業界の未来を見据えていたからともいえる。まっとうな事業で社会に貢献し続ければ、いずれ持続的な収益力の拡大という形で報われる、という信念が利八にはあった。だから客の注文に応じるため、やむなく舶来品のゴルフクラブを客に売った時も、「利益ゼロ」という決断を無理なく下せたのだ。

浮利を追わず、創意工夫に励む営為。自社のみならず業界の発展をもにらんだ事業活動。こうした利八の経営思想は、石田梅岩の「石門心学」など江戸期以来の商人道や、渋沢栄一の利他の精神に通じるものがある。いずれも根底に横たわるのは、長期的な視野で価値を創造し、社会に貢献していく「サステナブルな経営」を堅持する姿勢だ。これは資本主義の「強欲」な一面が社会に影を落とし始めた現代、改めて見直され始めた日本的経営の遺伝子といえるだろう。

利八のものづくりの真骨頂は、その愚直さだけにあるのではない。時代のニーズを直感し、大胆に商品開発に取り入れる軽やかさもまた、特筆すべき長所だ。それは優れた商品を持続的に社会に浸透させるための、一つの方便でもあった。

今、デザインや機能性にスポーツ要素を取り入れた「アスレジャー」と呼ばれるファッショントレンドが世界に定着している。この発想、実は100年も前に利八が商品に取り入れて市場化を果たしている。

利八は、より多くの人が利用できる手ごろな既製品ウエアの開発にあたり、アメリカのファッションカタログを参考に、店に集うボートやテニス、マラソンの選手の服装をアイデアの源として様々なデザインを提案した。太い毛糸で編んだダブルのセーター「オーバースェーター」が売れに売れた。柄織りの「オランダマフラー」、カッター(勝った)シャツ、ボストンバッグ、ランパン(ランニングパンツ)……。ひねり出したネーミングも時代の空気を捉え、大ヒットが相次いだ。美津濃商店は当時の大阪のファッションリーダーとなった。

美津濃商店は当時の大阪のファッションリーダー。スポーツ選手の服装などをいち早く取り入れ、瞬く間に流行を作った

業界の発展を志した利他の精神は様々な形で現在に引き継がれている。野球用具の自社生産を始める前、1911年に主催したのが「大阪実業団野球大会」。1913年には「関西学生連合野球大会」を企画した。実業団野球大会はその後、60回を重ねた。関西学生連合野球大会は今の全国高校野球の母体となった。いずれも真の狙いは野球を楽しむムーブメントの醸成であり、その結果としての用具の普及であった。ミズノの経営理念は「より良いスポーツ品とスポーツの振興を通じて社会に貢献する」である。まず社会に貢献すること。その結果として事業が拡大することを目指した。

もちろん自らの才覚と努力なくして経営は維持できないが、ミズノにとっての「サステナビリティ」の概念は、創業以来の足跡に明確に刻み込まれ、そして今に至る組織文化の中に深く根付いている。

1970年、利八は逝去した。後進に託したのが、当時の株価で30億円に達した自身の持ち株を財源に充てる財団の設立だ。目的はスポーツの振興や国際交流、科学的研究への援助など。その遺志を継いだのが水野スポーツ振興会(現・公益財団法人 ミズノスポーツ振興財団)だ。これまでの助成額は累計で約81億円にのぼる。利八はこの世を去った今もなお、スポーツ業界の維持発展、サステナビリティの実現にエールを送り続けている。

そして2021年に創業115年の節目を迎えたミズノは、「REACH BEYOND」をスローガンに従来からのサステナビリティ活動を加速させる。社会への貢献を通じ、自らも成長を遂げるという、ミズノ全社に深く浸透した理念を足がかりに、現代社会の課題解決に積極的に取り組んでいく。

環境保全の分野では2050年にカーボンニュートラルの実現を掲げる。委託工場では品質のみならず、人権にも配慮した「より良いもの作り」を引き続き推進する。自社技術を活用したパラアスリートの支援など、あらゆる人が公平にスポーツを楽しめる環境を整える。

学校体育の環境が未整備であり、子供の肥満率も高いベトナムでは、2015年、運動あそびプログラムを取り入れることで子供たちに運動することの楽しさと体を動かすことの喜びを伝える「ミズノヘキサスロン」の提案を開始した。今後、社会課題の解決につながる同プログラムをベトナム全土の小学校に普及させ、体育授業の充実を支援する。

さらに2022年度に大阪本社の敷地に新たな研究開発拠点を設け、材料開発やユーザーの運動測定・解析などを進めて、社会課題の解決につながるイノベーションを創出する。

パラアスリートのための義足(右)とその知見を発展させた義足のコンセプトモデル

現在のSDGs(持続可能な開発目標)に通じるこれら活動についてミズノは声高に語らない。これも利八以来の“伝統”といえようか。「目立たなくてええ。でも、ずーっと継続的に、社会に貢献しながら利益もそれなりに出して着実に伸びていく、サステナブルな会社。それが目指すところ」。水野社長はこう語る。その未来に向けた歩みを力強く支えるのは、115年もの間蓄積され、磨かれてきた技術と人材力、柔軟な発想、そして揺るがない理念だ。市民の心身の健康とアスリートの活躍を支えながら、社会の課題を解決し続けるビジョンが、今もたゆみなく育まれ続けている。

(Men's Fashion編集長 松本和佳)

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