変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

大学院時代からM3S-II型ロケットの開発に取り組んだ(左から2番目が川口氏)

大学院時代からM3S-II型ロケットの開発に取り組んだ(左から2番目が川口氏)

エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第5回では、ロケットの開発に初めて参画した大学院時代について語ります。

◇  ◇  ◇

東京大学大学院に入ると、宇宙航空研究所(現JAXA宇宙科学研究所)の個性の強い変人たちに驚かされた。

日本のロケットの父と言われる糸川英夫博士が立ち上げた東大宇宙航空研究所では、変人たちが自由な雰囲気の中で研究していました。長友信人教授が言われた「今見えているものはすべて過去のものである」という言葉は印象に残っています。教科書や論文を読んでもそこに書かれているのは過去のことで、新しい発想や発見を提供するものではないということです。

私も大学まで教科書・論文から学ぶのは当たり前と思っていましたが、現実の課題に直面しても解決の教科書はありません。勉強が得意な「学びのプロ」はあるレベルまでは早く到達しますが、そこまでです。

松尾弘毅教授からは「どっちにするか迷うくらいなら、どっちでもいいんだ」と言われました。最適化についての言葉ですが、最適化は最適な答えがあり突きとめられるという前提です。しかし現実には正解がなかったり無数にあったりします。ベストで無くても解決方法があるならそれでいい、という考え方は工学だけでなく人生にも通じるのではないでしょうか。

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック