ひらめきブックレビュー

盛り場めぐり40年 島田雅彦氏が開きたい居酒屋とは 『空想居酒屋』

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ここしばらく、飲みに行きにくい日々が続いた。オンライン飲みもいいが、リアルの居酒屋を恋しく思っている人も多いのではないだろうか。

居酒屋のもつ、いわく言い難い魅力を伝えているのが本書『空想居酒屋』。国内外の酒場をハシゴして40年になるという小説家・島田雅彦氏が、これまで訪れた店の様子や食べた料理、飲んだ酒、交わした会話、エピソードなどをつづったエッセーだ。ただの酒場探訪記ではない。訪れた先々でインスピレーションを得、理想の居酒屋メニューを空想し、それらを実際に提供する居酒屋を自ら開店しようという目的がある。だから行く先々で食材を詳細に分析し、つまみのイメージを広げていく。

島田氏は「文壇随一の酒呑(の)み&料理人」で、芥川賞選考委員を務める。なお、本書はウェブマガジン「本がひらく」に2019年4月から20年11月まで連載された「空想居酒屋」1~20を再構成したものだ。

■ゲップもおいしい揚げ物

島田氏が頭の中で練る空想居酒屋のメニューは、日本のみならず外国のものもヒントにしている。例えば揚げ物。紹介されるのは、ヨーロッパの海岸の町で食べるイカフライ、ヴェネツィアのオリーブの肉詰め、イスタンブールの鯖(さば)サンド、と実に多彩で、酒に合いそうな料理だ。中東のひよこ豆のフライ「ファラフェル」にいたっては、こんな説明がされている。「……単なる豆のフライと侮れない自己主張がある。食後のゲップには香辛料の残り香があり、二度美味(おい)しい」。

日本の揚げ物としては、大分県中津市の唐揚げ、東大阪の串カツ、江戸前天ぷらが登場する。中津ではフライドチキンの大手チェーン店が撤退したとか、串カツ屋のおばちゃんが三人分の勘定を「四千万円」と言ったとか、ユーモラスな小話が差しはさまれる。ちなみに島田氏は天ぷらを揚げるのが得意だそうだ。

■「行きつけ」は財産

あるとき、ふらっと入った居酒屋で昨年鬼籍に入った俳優・志賀廣太郎氏に偶然出会う。週4日も通うという志賀氏に「この店の最大の魅力は何ですか?」と聞いてみたところ、「何の変哲もないところですかね」と返ってきた。取り立てて何もないからこそ、しみじみとひとり酒をすることもできる。行きつけの居酒屋を持つことはひとつの財産のようなものだ、と島田氏はいう。たしかに、なじみの居酒屋は人生を豊かにしてくれるものの1つだ。

飲食は文化であり、その場を提供する飲食店は文化財で、公共財であると島田氏は説く。そして連載中に到来したコロナ禍は、飲食店が利益追求とは別の形で存続することを試みるチャンスだと見なす。本書の最後にはカフェを間借りし、自前の調理器具を使って、その日限りの「何処(どこ)でも居酒屋」をオープンさせるが、これは新しい飲食スタイルへの彼なりの挑戦なのである。

もうしばらく、飲食店や酒場は苦境に立たされそうだ。感謝と応援の気持ちを抱きつつ、理想の飲み方について思いをめぐらせてみてはいかがだろう。

今回の評者=高野裕一
情報工場エディター。医療機器メーカーで長期戦略立案に携わる傍ら、8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとしても活動。長野県出身。信州大学卒。

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