ひらめきブックレビュー

元官僚と学者の東大OBが喝 文系・理系の区別「百害」 『文系・理系対談 日本のタコ壺社会』

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文系か、理系か――受験生でなくとも、この2択はよく使う。数字に強い人に「さすが理系ですね」などと何気なく口にするのもしばしばだ。

だがそうした文系・理系の区別が、日本の閉塞感の発端である、と喝破するのが本書『文系・理系対談 日本のタコ壺社会』。素粒子物理学者であり東京大学副学長を務める相原博昭氏と、元農林水産事務次官の奥原正明氏、いわゆる理系畑・文系畑を歩んできた2人の対談だ。大学教育や霞が関の事情をベースにしつつ、文系理系問題を深掘りして日本社会の課題をあぶり出していく。2人は麻布高校の同期生である。

■レッテル貼りで視線が内向き

両者の問題意識は明確だ。日本人は自分の属する狭い世界、すなわち「タコ壺」にどっぷりはまりすぎている、という点である。外の世界を見ず、内輪のルールや「空気」に従うのが当然になっている。文系・理系というレッテル貼りはその代表で、枠にはまることで視点が内向きになってしまうと指摘する。

例えば文系の学生は科学がわからなくて当然とされ、理系は小説も読まない、官庁では文系中心主義が根強い……などなど、研究や行政の現場ではびこるタコ壺意識が語られる。

とくに文系が「ひどい」という。官庁の文系職員はゼネラリストとして育てられることが多いが、結局は「なんでも屋」になってしまっている、と奥原氏。本当のゼネラリストとは専門を極めてその分野の全体像を捉え、大局的な判断ができる人材のこと。しかしタコ壺の空気を読むばかりで、専門分野や深い知識がない、と手厳しい。

■イノベーションが起こらない

タコ壺意識は、日本社会の弱点にもつながっていく。所属する世界の論理に従うことが有利になれば、新しいチャレンジに意欲が向きにくい。タコ壺のルールを外れたものが排除され、考え方や人材の多様性が失われることも懸念点だ。日本で大きなイノベーションが起こらない遠因は、ここにあると2人は見る。

変化へのヒントももちろんある。例えば国立大学は法人化に伴い、学部ごとの提案に対して評価し、競争的に資金配分する仕組みが進んでいる。隣の分野に口出ししない代わりに、自分の分野に口出しさせないという縄張り意識や、悪平等で良しとする姿勢を大学関係者は改めるべきと2人は考えている。

タコ壺社会に対抗するためには「自立」や「自由」がキーだ。個人ならば、組織や集団だけの論理から離れて、自立した意見や見方をもって意思疎通をすることが大切だと奥原氏は訴える。選択肢を自由に選んで挑戦してほしいというのが、相原氏から若い人へのメッセージだ。

ふと最近話題になったクリスティアーノ・ロナウド選手の「神対応」を思い出した。日本人少年のたどたどしいポルトガル語を笑った日本の報道陣を、ロナウド選手がたしなめたというエピソードだ。私たち大人が内向き視点を変えなければ、挑戦は生まれないだろう。

今回の評者=安藤奈々
情報工場エディター。8万人超のビジネスパーソンに良質な「ひらめき」を提供する書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」編集部のエディター。早大卒。

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