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大学生時代はボランティアとして、消防や救急、レスキューに参加した

大学生時代はボランティアとして、消防や救急、レスキューに参加した

業種や規模はもちろん国境をも軽々と飛び越えて次々に効果的な策を打ち出し、企業を成功に導く。こうした「プロ経営者」と呼ばれる人たちの一人がハロルド・ジョージ・メイ氏だろう。赤字状態だったタカラトミーの社長となるや、わずか数年で最高益へと業績をV字回復させた。そのメイ氏は2018年、新日本プロレスリングの社長に就いて、新たなファンを呼び込んだ(2020年10月に退任)。メイ氏の「仕事人秘録」の第6回では、米国の大学へ進んだ理由を語ります。

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大学は米国を選んだ。幼少期を過ごし、よい思い出が多かった日本文化を学びたいという思いと、父のように世界を渡り歩くビジネスマンになりたいという思い。それを両立させる方法を探った結果だった。

ビジネスマン、なかでも社長を目指そうと思ったのは高校生のときですね。インドネシアで社長になった父を見て、私もそうなりたいと思いました。一方で自分の武器は何かと考えたとき、やはり日本で生活した経験があるというのは大きいのではないかとも考えました。

米国の大学を選んだのは2つ以上専攻できるからです。両親がオランダに戻るので、オランダの大学も検討しましたが、専攻が1つしか取れません。私は経営学と東洋学を学びたかったので、それが可能なペンシルベニア州のバックネル大を選びました。早くから目標を設定できたので、筋道を立てて計画を立てることができました。

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