高校まで続いた異国暮らし 「やってみよう」精神育む
新日本プロレスリング前社長 ハロルド・ジョージ・メイ氏(5)
メイ氏の父は日本を離れた後はインドネシアの乳業メーカーの社長に就任
業種や規模はもちろん国境をも軽々と飛び越えて次々に効果的な策を打ち出し、企業を成功に導く。こうした「プロ経営者」と呼ばれる人たちの一人がハロルド・ジョージ・メイ氏だろう。赤字状態だったタカラトミーの社長となるや、わずか数年で最高益へと業績をV字回復させた。そのメイ氏は2018年、新日本プロレスリングの社長に就いて、新たなファンを呼び込んだ(2020年10月に退任)。メイ氏の「仕事人秘録」の第5回では、高校まで続いた異国暮らしを振り返ります。
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日本に来た約50年前は標識や行き先表示なども日本語だけでした。例えば父がクルマの運転をしていても、道路案内がわからない。当時は当然カーナビもないので、目的地にたどり着くまでが大変でした。
父はこのような厳しい環境に家族と自分を置いたわけです。私もそのパイオニアスピリットを受け継いでいます。
実際に言葉などで苦労したので、ある意味で怖いもの知らずになりました。「知らない企業と交渉しろ」「明日から知らない場所に転勤してくれ」などと言われても全然平気です。
「知らないから」とか「経験がないから」と尻込みしていたら新しい道は開けません。「やってみよう」「行ってみよう」という勇気と、「何とかなる」精神はビジネスに不可欠だと思います。
私は子供の頃に日本、インドネシア、米国と異国に住んで苦労した経験があるので、飲料から玩具、玩具からスポーツと業界の壁を越えてまったく違う企業でもやってこられたのだと思います。
おかげで多様な経験ができましたし、各業界の商習慣などにも切り込んでいけました。その業界では当たり前のことでも、私にとっては違います。なぜこうなのかを論理的に説明できなければおかしいと新鮮な視点で突き詰め、改善できます。
もう一つ重要なのは言葉の壁を越えるコミュニケーションを学んだことですね。言葉が通じないときに、どうやったら友達をつくれるのか。どうやったら自分がほしいものを伝えられるのか。こうしたことを手探りで学びました。
その一つが数字です。数字には言葉の壁がないし、万国共通ですから。次にイラストや図。イメージなので言語なしでも伝わります。最後にロジック。「こうだからこうだ」という論理を積み上げていくことです。これら三つはビジネスで非常に大切です。特に私は数字は国際語と考えて重視しています。