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来日当初は子ども向け番組や歌謡曲で日本語を覚えた

来日当初は子ども向け番組や歌謡曲で日本語を覚えた

業種や規模はもちろん国境をも軽々と飛び越えて次々に効果的な策を打ち出し、企業を成功に導く。こうした「プロ経営者」と呼ばれる人たちの一人がハロルド・ジョージ・メイ氏だろう。赤字状態だったタカラトミーの社長となるや、わずか数年で最高益へと業績をV字回復させた。そのメイ氏は2018年、新日本プロレスリングの社長に就いて、新たなファンを呼び込んだ(2020年10月に退任)。メイ氏の「仕事人秘録」の第4回では、日本語の習得に苦労した体験を語ります。

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日本では横浜に住んでインターナショナルスクールに入ったが、英語も日本語もできずに四苦八苦する。

47年前に両親に連れられて来日した当時は、まだ欧米人というと外交官か軍人ぐらいで、民間人の外国人はほとんどいませんでした。街を歩いていると「あ、外人だ」と指さされたり、記念撮影を求められたりしました。

旧カネボウグループの食品会社(現クラシエフーズ)でも初めての外国人役員だったので、きっと父は苦労したと思います。社内にも英語を話せる人はそれほどいなかったでしょう。きっと会社に先見の明があったのでしょうね。

当時の私は英語も日本語もまったくできませんでした。インターナショナルスクールは英語ですし、学校の外は日本語の世界です。言葉では言い表せないほど大変でした。

初日に授業で先生が「夏休みに何をしたのか書きなさい」と英語で言ったらしいのですが、当然私にはわかりません。先生はその様子を見て「どうして書かないの?」みたいなことを言ってたようですけど、やはり通じません。

そこで先生が3年生にいたオランダ人の子を連れてきて通訳してもらい、私もようやく理解できました。しかし、当然書くのはオランダ語です。今度は先生がわからない。「これは困った」となって、そこから特訓です。基礎からの特別授業が始まりました。

英語がわからなければ授業にまったくついていけませんから、覚えざるを得ないのです。クラスメートとも話したい。自分で自分にプレッシャーをかけて、必死な思いで少しずつですが習得しました。

日本語を覚えるのも必死です。一歩外に出ると日本語しかないのですから。バスに乗るにも行き先がわからない。たぶんこれだと思って乗っても、今度はアナウンスが日本語なので降りる場所がわからない。

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