支え合いながら、困難に打ち勝つ[PR]SMBC日興証券の障がい者アスリートたち シリーズ4

2020/11/6
写真提供:仙台大学、Ryo ICHIKAWA

コロナ禍は障がい者アスリートも直撃した。合同練習や遠征が禁じられ、孤独になった選手たちはトレーニング環境の悪化に加え、メンタル面でも厳しい立場に追い込まれた。しかし、コーチと選手、選手同士といった形の夫婦で励まし競技に取り組んでいる障がい者アスリートは互いに支え合って、この困難を乗り越えようとしている。SMBC日興証券に所属するアスリートたちのパートナーシップを、2組のケースから紹介していく。

ゼロからのスタート、夫が支え

やり投げ(F46クラス)で国際的なスポーツの大会に挑む齋藤由希子選手は今なお世界記録保持者だ。しかし、その栄光は砲丸投げで得たものだ。現在はやり投げに転向して新たな頂点を目指している。

齋藤由希子(さいとう・ゆきこ)宮城県出身、パラ陸上(投擲 F46クラス)。2017年IPCグランプリ・ドバイの砲丸と円盤で金、やりで銀メダル、2018年WPA北京グランプリのやり・円盤・砲丸で金メダル。やり投げF46クラス日本記録保持者。左上肢欠損(写真提供:仙台大学)

誰もが「世界トップの砲丸投げで出場すればよいのに」と思うはずだ。ところが、出場予定の国際大会では砲丸投げが競技種目から消えた。国際大会では常にすべての競技や種目が実施されるとは限らない。齋藤選手は得意の砲丸投げをあきらめて、やり投げを選ばざるを得なかった。

同じ投擲(とうてき)競技とはいっても、砲丸投げとやり投げではルールも練習方法も大違い。「ほとんどゼロからのスタートになった」と齋藤選手は振り返る。ハードルの高い種目変更を支えてくれたのは、夫でコーチの恭一さんだ。もともと同じ仙台大学で陸上部の先輩だった。「身近なところから絶えずサポートしてもらえるのは心強い」と、齋藤選手は「アスリート家族」のありがたみを実感している。

競技生活以外でも大きな困難を体験している。陸上部で活躍していた高校2年生の2011年に、東日本大震災が起こり、生まれ育った宮城県気仙沼市の自宅が津波に流された。避難所生活を強いられ、高校最後の選手生活は実力を発揮できなかった。

生まれつき左腕のひじから先がなく、1歳前から義手をつけている。しかし、運動は得意で、中学1年生のとき、陸上部の顧問に勧められて砲丸投げを始め、健常者を上回る記録を連発。「基本の性格が負けず嫌い」と屈託なく笑う。

結婚を機に、恭一さんと話し合って福島市へ活動拠点を移したが、着替えにも事欠いた被災後に、各地から寄せられたトレーニング用具のおかげで活動を再開できたことを、齋藤選手は忘れていない。

リモートで取材に応じた齋藤選手は、「つらいこともあるけど、楽しんだ者勝ち」と明るく話す

今回のコロナ禍では活動が制限され、大会も中止になり、トレーニング環境は苦しくなった。アスリート仲間との交流が難しくなり、「メンタル面で影響があった」というが、不安を覚えるたび、相談に乗ってもらえる恭一さんの存在がモチベーションを保つうえで助けになったという。

今後も国際的なスポーツ大会では金メダルを狙うが、その先も見据えている。「旧姓の加藤で記録を持っているので、齋藤由希子で記録を残したい。きっと、できる」と語る齋藤選手。いずれママになっても競技を続けるつもりだ。震災や競技不開催など、いくつもの壁を乗り越えてきた齋藤選手は「つらいこともあるけど、楽しんだ者勝ちです」と気持ちをしっかり東京大会に切り替えている。

励まし合い、学び合い

パラ柔道男子90キロ級の廣瀬悠選手は自然体の柔道家だ。柔道選手には闘士むき出しのタイプが珍しくないが、むしろ飄然(ひょうぜん)としている。トレーニング機会を奪ったコロナ禍すら「時間がもらえた」と、前向きにとらえる。

廣瀬選手は著名な国際大会に出場経験を持つが、妻の順子さんも女子57キロ級の選手で、国際大会で3位に入賞したトップアスリートだ。悠選手は妻のコーチも兼ねている。

廣瀬悠(ひろせ・はるか)愛媛県出身、パラ柔道。2008年北京パラリンピックで5位入賞、2016年リオには夫婦そろって出場。2019年 IBSAアジアオセアニアチャンピオンシップ 90キロ級5位。視覚障がい(写真提供:Ryo ICHIKAWA)

「練習が好きなタイプではない」と自分を語る。だが、夫婦2人で練習することが多くなり、「どちらかのモチベーションが下がっても、お互いを励まし合いながら前向きになれる」と、支え合いの心理を明かす。

自分は「相手のスタミナを奪って、ゴールデンスコア(延長戦)で粘り勝ちするタイプ」という。一方の順子選手は「全く別のタイプだから、お互いに学ぶ余地が大きい」と、夫婦稽古のメリットを感じている。

コロナ禍は対人・接近が前提となる柔道の稽古を妨げた。しかも悠選手の強みは寝技。3月以降、対人練習の機会は減ったが、ジムで時間をかけて鍛え、筋力をしっかり蓄えた。

柔道歴は長い悠選手だが、かつては「やらされている感じの柔道だった」と振り返る。しかし、今は「どうせつらい練習を続けるのなら、楽しんだほうがいい」と考えを改め、「楽しい柔道」を夫婦で広めている。

戦うスタンスも変わってきた。40歳を迎え、体力の限界も感じるだけに、「次の大会で燃え尽きるつもり」。順子選手と共に2大会連続メダルに挑めることは、気持ちの支えになっているという。

小学校のうちから柔道に打ち込んでいたが、高校時代に緑内障を患い、視覚障がい者柔道に転じた。視力の低下後、練習機会を得にくかった昔を振り返って、「世の中の理解が広がって、環境が整ってきた」と感じている。

「プレッシャーはない」と意気込みを語る廣瀬選手

以前は100キロ級だったが、数年前に90キロ級へ落とした。しかし、急な変更もあって「世界の舞台では相手にならなかった」。次はメダル獲得の期待を背負うが、「プレッシャーはない。強ければ勝つだけ」と淡々。きつい減量にも「楽しんで乗り越える」と自信を見せる。

出身地の松山市に居を構え、順子選手と一緒に地元の高校や大学で汗を流す。自らを奮い立たせるのは「昨日の自分に負けてなるものか」という思い。女子の戦い方から多くのヒントを得たという悠選手はパートナー直伝のしなやかなスタイルを武器に、東京大会の畳に臨む。

動画で運動不足を解消、組織に活力
SMBC日興証券人事部ダイバーシティ推進室の勝具子室長
健常者の社員が、障がい者アスリート社員の競技に挑む姿を目にしたり、社内研修で体験談を聞いたり、と交流を続けています。今年はコロナ禍でテレワークの社員が増え、運動不足解消のために障がい者アスリート社員に自宅でできる体操や、ママさんアスリートには子どもと一緒にできるエクササイズをそれぞれ自撮りしてもらいました。食生活や筋トレ・睡眠などをテーマに執筆してもらったコラムも社内のイントラネットで配信しており、なかなか好評です。障がい者アスリート社員の存在は多くの社員の心のバリアフリーを促進し、組織に活力を与えています。

SMBC日興証券の障がい者アスリートたち・シリーズ

「壁」を乗り越え、高みに挑む

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