ひらめきブックレビュー

ヤフーをつくった男の素顔 オタクを極めた生き方とは 『ならずもの』

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「ヤフー」と言えば日本のIT業界を代表する巨人として、知らない人はいない。だが、Zホールディングス傘下にあるヤフーの事実上の創業者と言われる井上雅博のことは、ご存じない方がほとんどではないだろうか。1996年、ソフトバンク社長室の一角に3名のスタッフで創業してから、2012年に社長を退任するまで、井上がヤフーのトップであり、ソフトバンクグループのナンバー2だった。

本書『ならずもの』は、マスコミ嫌いで表に出ることを嫌った井上の評伝だ。米国の創業者がつけたヤフーという風変わりな社名は、ガリバー旅行記に出てくる野獣「ヤフー」に由来する。粗野で型破りな「ならずもの」という意味もあり、著者は井上の型破りな生き方をこのタイトルに重ね合わせている。

井上の庶民としての生い立ち、パソコンと出会った青年期、孫正義の懐刀としてヤフーの創業と急成長をリードした経営者時代。そして引退後は贅沢三昧の趣味の世界に浸り、クラシックカーレースでの非業の事故死までが、丹念な取材で明かされていく。「週刊現代」に連載された内容に大幅に加筆修正したもので、著者の森功氏はノンフィクション作家。

■クラシックカーに注いだ情熱

井上は1957年、東京・世田谷生まれ。井上をよく知る友人たちは、彼のことを「オタク」だという。高校時代からクラシックやジャズのレコード収集に凝ったり、コーヒーの蘊蓄(うんちく)で友人を驚かせたりと、好きなことに徹底してこだわる人物像が浮かび上がる。

井上の人生の要所要所に、このオタク性が顔を出している。例えば1980年代、黎明期にあったパソコンやインターネットに井上はのめり込んだ。アルバイト先であったパソコンベンチャーのソードにそのまま入社。遊び歩くようにアメリカ出張を繰り返し、業界全体を俯瞰(ふかん)する知見を身につけたという。このときに得た英語力と知見とが、転職先のソフトバンクで孫正義に見出され、社長室長に抜擢された。

ソフトバンクによる米ヤフーへの投資についてもそうだ。日本企業の競合がひしめくなか、井上はスピード感ある提案で提携を成功させた。競合を出し抜けた理由には、もちろんビジネスセンスが際立っていたこともあるだろう。だが、米ヤフーの創業者ジェリー・ヤンが井上を「日本文化の先生」と呼んでいるところを見ると、何事も深掘りするオタク的な素養が魅力的に映ったのではなかったかと感じてしまう。

オタクというと一つの世界に耽溺し、他人の意見を受け付けないようなイメージがあるが、井上は違う。それがよく分かるエピソードが人材の採用だ。井上は「自分に理解できない人は採用する」という方針で人材を集めたという。確かに、ヤフーの草創期を支えたメンバーのバックグラウンドを見ると、学習塾の経営、引っ越しアルバイト、ラジオのパーソナリティと実に多様だ。

井上の雇用にかける独特の感性は、身近な関係者も説明ができないのだそうだ。レコードや本を集めるのと同じように、人物収集に対してもある種のオタク的な嗅覚が働いていたのかもしれない。井上は社長退任後に莫大な資産をクラシックカー、ワイン、葉巻といった趣味に注ぎ込んだそうだ。尽きせぬ好奇心によって磨かれた、感性の鬼のような生き様にしびれる。

今回の評者 = 戎橋昌之
情報工場エディター。元官僚で、現在は官公庁向けコンサルタントとして働く傍ら、8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとしても活動。大阪府出身。東大卒。

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