ひらめきブックレビュー

「思い込み」が生む危険 なぜ他人を理解できないのか 『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』

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本書はこんな事件の描写から始まる。2015年、サンドラ・ブランドという黒人女性が白人警官に車を止められた。「車線変更時にウィンカーを出さなかった」という理由だ。警官と口論となった末にサンドラは逮捕され、3日後に拘置所で首を吊り自殺した。

この悲劇から、昨今の黒人への暴行事件を思い浮かべた人も多いだろう。根深い「人種差別の問題」が続いている、と考えるかもしれない。しかし、本書『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』(濱野大道訳)は別の角度から問題提起をしている。これは人種差別の問題というだけでは足りない。そもそも、人間はよく知らない他者への接し方が苦手なのではないか、と指摘するのだ。本書は、他者を理解することの根源的な難しさを、様々な社会科学や心理学の成果をもとに考察している。著者のマルコム・グラッドウェル氏は、『第1感』『天才! 』など複数の国際的ベストセラーを持つノンフィクション作家だ。

■相手への「信用」が前提

私たちは、交流会で知り合った相手の話、職場での雑談、SNSのコメントなど、よく知らない相手が常に正直なことを言っているか、ほとんど気にせずに過ごしている。多少の嘘や誇張があったとしても、社会が回っているのは、みな信用を前提としているからだろう。

基本的に人間は相手への信用を前提(デフォルト)にしているという理論を「トゥルース・デフォルト理論」という。著者もこの理論をベースに議論を展開してゆく。「基本的に他人を信用してしまう」という人間生来の傾向があるために、人にだまされる事態はどうしても起きてしまう、というのだ。

では、だまされないために、「疑うこと」を前提にするとどうなるか? 実はこれが、冒頭の警官が持っていた姿勢だ。彼は、当時の取り締まり方針により「相手を徹底的に疑う」よう訓練されていた。そのため、サンドラがイライラしてたばこを吸い始めただけで、彼女が犯罪に関わっており、それを隠そうとしているという疑いを強めてしまった。疑いが恐怖へ変わり、のちの証言によると、サンドラから銃で撃たれるとさえ警官は思っていた。彼女が銃を所持していなかったにも関わらず。

著者はこうした事例を並べ、私たちがいかに他人を理解することが難しいかを説明していく。人間はまず信用する。結果として、うそを見抜けないことが圧倒的に多い。だからといって疑いを前提とすると、人間関係の衝突が頻発し、社会を崩壊させかねない。であれば、私たちにできることは何なのか。著者はまずは「だまされた」人を責めないことから始めよう、と呼びかける。よく知らない他者に対しても、最良の想定をする「デフォルトの信用」は人間に備わった大切な性質なのだと強調するのだ。

しかし、こうした人間本来の性質に反して、現代社会はどちらかというと疑心暗鬼に陥っていることが多いのではないだろうか。人間の弱点でもあり美点でもある信用する力について、改めて見直すきっかけを与えられる一冊だ。

今回の評者 = 若林智紀
情報工場エディター。国際機関勤務の後、人材育成をテーマに起業。その後、ホテル運営企業にて本社人事部門と現場マネージャーを歴任。多岐にわたる業界経験を持つ。千葉県出身。東大卒。

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