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アイドル時代とは打ってかわり、ネバーランドでは音楽に集中できた(前列左が本人)

アイドル時代とは打ってかわり、ネバーランドでは音楽に集中できた(前列左が本人)

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第11回では、独立後に初めてアニソンを手掛けた経緯を振り返ります。

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1981年、事務所から独立して元レイジーの田中宏幸氏とネバーランドを結成した。

キングレコードの重松英俊ディレクターの発案で、阿久悠さんに歌詞を書いてもらいました。出来上がった歌詞が「俺たち大阪から出てきたんやで~」みたいな。「絶対嫌です」と突っぱねましたが、相手は大先生。「どうやって断るんだ!」と怒られました。

当時ヒットしていた女性3人組グループのシュガーのプロデューサーと組むアイデアも持ち上がりました。しかし打ち合わせにやってきたプロデューサーと合わず「これも嫌です」とお断り。「もう勝手にやれ!」と放り出されました。

ネバーランドは自分たちで小屋(ライブハウス)を探したり、練習場所を確保したり。下積み時代に戻ったような活動でした。ライブの告知ポスターはメンバーとレンタカーで貼りに出かけます。500~600枚くらい貼りました。不審者に間違われて警察官に呼び止められもしました。

日々、音楽の練習に打ち込みました。ボーカルは加入当時、17歳。お父様から「成人になるまで井上さんと同居すること」を条件に許可を頂いて参加してもらいました。素人だからマイクスタンドの使い方から徹底教育です。河口湖にあった合宿スタジオのオーナーから「一番練習したのはネバーランド」のお墨付きをもらえるほどでした。

ネバーランドの活動は楽しかったですね。楽器をメンテナンスしたり、楽曲を研究したり。やりたいことだけに集中できている充実感がありました。レイジー時代は音楽以外の仕事が多く、スタジオに1カ月籠もって音楽を作り込むような時間が持てませんでした。今振り返れば、レイジーでバラエティー番組のコントを極めるのもよかったかな、とも思えますが。

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