ひらめきブックレビュー

46歳で初タイトル 将棋の木村一基王位が折れない理由 『受け師の道』

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「史上最年少」(17歳11か月)のタイトル獲得で話題となった藤井聡太棋聖は、現在、王位戦七番勝負の真っ最中だ。藤井人気の一方、挑戦を受けている木村一基王位について詳しい人は、少ないのではないか。じつは木村氏こそ、2019年、46歳という「史上最年長」で初タイトルを獲得した人物だ。

1973年、千葉県四街道市に生まれた木村氏は、23歳でプロ入り。相手の攻めを受け、守りながら反撃する"受け将棋"を棋風とし、「受け師」の異名をとる。本書『受け師の道』は、木村氏が、最年長に加えて最遅・最多挑戦となる7度目のタイトル戦挑戦で王位を獲得するまでを追ったノンフィクションだ。著者の樋口薫氏は、東京新聞の記者。

■タイトル戦への執念

将棋界には現在、竜王、名人など8つの大きなタイトルがある。木村氏のタイトル戦初挑戦は、2005年の竜王戦だった。32歳の木村氏は、当時21歳の渡辺明氏に挑み、7番勝負で0勝4敗。以降、2016年までに挑戦した計6回のタイトル戦すべてに敗れる。うち4回の相手が、羽生善治氏だ。木村氏は、羽生氏ら強豪の多い世代の少し下にあたり、なかなか勝てなかった世代という。

しかし木村氏は、負けても負けても、しぶとくタイトル戦に帰ってくる。座右の銘の「百折不撓(ふとう)」(何度失敗してもくじけないこと)を地で行くのだ。昨夏、豊島将之氏を相手に2連敗から立て直し、ついに王位のタイトルを獲得。まさに「中年の星」となった。本書の中で、木村氏は敗戦のたびに涙を見せる。その彼が、勝利後のインタビューで家族について尋ねられ、やはり涙を流す姿の描写に、胸を打たれた。

■AI時代だから光る魅力

本書の後半は、今年1月に行われた、木村氏による「王位獲得記念トークショー」だ。印象深かったのは、AI(人工知能)と人間の棋士が対局する「電王戦」の話である。2012年から2017年に開催された電王戦において、棋士が優勝者となったのは2015年の一度だけ。木村氏は、プロ棋士がAIに敗れたことに、当初、棋士の仕事は「終わった」と感じるほどショックを受けたと語る。将棋に「強さ」を求めるファンは多いからだ。しかし実際は、「人間の判断ミスも含めての勝負」だと理解したファンも多く、それが救いになったという。

プロである以上、強さが重要なのは断るまでもない。しかし、AIがプロ棋士を超えたとされる中でも、ファンが棋士を応援するのは、棋士に強さ以外の「何か」を求めるからだろう。

木村氏が備える魅力こそ、その「何か」なのではないか。本書に描かれる木村氏は、負けが見えても歯を食いしばって粘る。涙もろく、負ければ飲み過ぎ、ときに「みっともない」と我が身を振り返ったりする。その人間味こそが魅力であり、AIがまねできない部分だろう。木村氏の「完璧ではない部分」に、私は自分を重ね、強く励まされた。

王位戦を楽しみつつ、ぜひ本書を開いていただきたい。将棋の魅力、そして木村氏の魅力を、より深く感じられるに違いない。

今回の評者 = 前田真織
2020年から情報工場エディター。2008年以降、編集プロダクションにて書籍・雑誌・ウェブ媒体の文字コンテンツの企画・取材・執筆・編集に携わる。島根県浜田市出身。

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