レイジー解散で新グループ 「ポッキー」から井上へバンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(10)

トライアングルプロダクションを離れ、新しい事務所「I.T.Iハウス」を設立した
トライアングルプロダクションを離れ、新しい事務所「I.T.Iハウス」を設立した

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第10回では、レイジーの解散後に参加した新グループについて語ります。

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1981年。レイジー解散後も、井上氏はトライアングルプロダクションに残った。

藤田浩一社長がクインシー・ジョーンズのプロデュースでヒットした「愛のコリーダ」の日本語版を作ろうと持ちかけてきました。そこで3人組グループのトロワと合流して新しいユニットの「ビッグバン」を結成しました。でも、愛のコリーダを日本語で歌うなんて正直、ダサい。ビッグバンでの活動はその1曲だけとなりました。

ぼくと組ませるボーカルを発掘するため、藤田社長と大勢のデモテープを聞いていました。その中に1人、光る原石がいました。「組む前に一緒に生活してみなよ」。藤田社長の提案で東京・青山の自宅で1週間ほど一緒にいました。同い年の彼はまだ大学生。(日産自動車の)赤いブルーバードに乗って「ポッキー(井上氏)、海に行こうよ」。音楽の話しより遊びに誘う。無理だと思いました。

ある夜、六本木の焼鳥店にいた藤田社長に会いに行きました。「彼とは組めません」。そう訴えた次の瞬間でした。「何を言ってんだ!」。拳で思い切り殴られ、漫画のワンシーンのようにカウンターから転げ落ちました。もう我慢の限界です。「やめてやる!」。そう言い放っていました。

その後、藤田社長は杉山清貴&オメガトライブをプロデュース。ユニットの結成を諦めた大学生の彼、角松敏生さんは後に、シンガーソングライターとして大成功しました。きっとぼくと組んでもそれほど売れなかったでしょう。ぼくが事務所を飛び出してお互いに幸福だったと思います。

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