背水の陣で待望のヒット アイドル扱いにも慣れバンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(7)

振り付けが追加されるなどアイドル路線のヒットには困惑もあった=ソニー・ミュージックダイレクト協力
振り付けが追加されるなどアイドル路線のヒットには困惑もあった=ソニー・ミュージックダイレクト協力

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第7回では、初めてヒットを飛ばした当時を振り返ります。

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レコードは売れなかったが、メンバーは少しずつ手応えを感じていた。

デパートの屋上で繰り返しライブをしました。演奏後はレコードを手売りです。次第にファンが集まってきてムードは悪くない。デビューから半年ほどたった1977年後半には、1000人くらいのファンが集まってくれるようになりました。2曲目の「カムフラージュ」もオリコンランキングの60位くらいで「マル京」マークが付いていました。今はありませんが「東京では売れています」という意味です。

「新宿アシベホール」でもライブをやらせてもらいました。最盛期のグループサウンズも使っていたステージです。ぼくらは持ち歌が4曲しかないから、ディープ・パープルなど好きな楽曲を演奏していました。アイドルバンドのつもりで見に来てくれた女性ファンはあぜんとしてました。

手応えはありましたが周囲の期待を越えていない。カムフラージュは作曲が都倉俊一さん、作詞が松任谷由実さんですからね。事務所からは「次が売れなかったら、君たち大阪に帰れ」と最後通告されました。

3曲目は「赤頭巾ちゃん御用心」。スタッフから「今度から振り付けが入るよ」と言われ、みんなが「えー!」。先生はピンク・レディーの振付師・土居甫さんです。振り付けなんて格好悪いけど、ぼくらは拒否できる立場にない。レッスン後も合宿所前の空き地で振り付けの練習。衣装もカラフルで派手になっていく。まさに和製ベイ・シティ・ローラーズ。たっかん(高崎晃)は本当に嫌そうだった。

最近、景山(影山ヒロノブ)君とたっかんの3人で「『赤頭巾』が売れていなかったらどうなっていただろうね」と話題になりました。景山君は実家の理髪店を継いでいただろうと。たっかんも実家が自営業でやっぱり跡継ぎ。ぼくは大阪・心斎橋のアメリカ村あたりでスナックでもやっていたでしょうね。

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