会話ではツッコむべきか 漫才が日本語に与えた変化

漫才師の厳しいツッコミを丸写しするのはリスクを伴う。 写真はイメージ=PIXTA
漫才師の厳しいツッコミを丸写しするのはリスクを伴う。 写真はイメージ=PIXTA

この20年ぐらいの間に、日本語を大きく変えたのは「お笑い」だろう。とりわけ漫才言葉は浸透力が大きかった。もはやビジネス会話でも序盤のフックを意味する「前フリ」「つかみ」といった言葉が使われるようになっていると聞く。だが、お笑い言葉の浸透は、表現のバリエーションが増えたというだけではない、「負の影響」ももたらしたようにみえる。

漫才の「ボケとツッコミ」という役割分担に由来する「ツッコミを入れる」は最も定着した言葉の一つだろう。今では会話を盛り上げる「お約束」的なアクションとして、程よいタイミングでツッコミを入れることが若い人の会話では珍しくなくなってきたようだ。

ただ、本当の意味で深く斬り込む「突っ込み」ならともかく、日常会話でのツッコミは往々にして表面的な茶化しや揚げ足取りに終わることがある。でも、ツッコミをプラスに評価する今の感覚では「積極的にツッコむ人=賢い=イケてる」とみなされやすい。一方、黙って聞く人は「受動的=イケてない」という誤解を受けがちだ。

会話に進んで参加する態度自体はコミュニケーションを促す点でプラスに働くだろう。だが、たくさんツッコミを入れる人と見比べて、言葉数の少ない人を低く評価するのは勘違いではないか。漫才コンテストではボケの回数を意味する「手数」が勝敗を左右することもあるが、勝負事ではない日常会話に手数論を持ち込むのは危うい気がする。

こういう意識が強まると、言葉達者にどんどん責め立てるように話す人を「カッコいい」と感じるような見方が広がりかねない。ツッコミの回数や表現のどぎつさをほめてほしいと期待するようになれば、丁寧に言葉を選んだり、他人を思いやったりはしにくくなる。結果的に「ウケ狙い」「過激さ重視」の物言いに近づきやすくなる。「とりあえず、ここでツッコんどこか」といったタイミング思考もうかつな軽口を誘いがちだ。

人の話を最後まで聞けない人があちこちでトラブルを起こしている。まだ説明の途中なのに、自分の主張を強引に割り込ませる人は、以前よりも増えた気がする。マスクが品切れのドラッグストアでは、店員を頭ごなしにどなりつける人が相次いだ。ネットニュースの見出しだけを見て、「許せない」と見当違いな「正義感」を募らせ、持論でたたきまくる人も現れた。どれもがお笑い文化の影響であるはずはないが、漫才特有の食ってかかるような反論口調との共通性がうっすらと感じ取れないだろうか。

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