ムッシュかまやつさんが親説得 レイジーとして東京へ
バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(4)
井上俊次氏が参加したロックバンド「レイジー」は1977年にデビューした
市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第4回では、レイジーがデビューに至る経緯を振り返ります。
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1976年11月。関西ローカルの深夜番組「ハローヤング」のオーディションを受けました。毎週、オーディションを勝ち抜いたアマチュアバンドが演奏できるコーナーがありました。
オーディション会場は大阪・東住吉のスーパーマーケット前でした。結果はめでたく合格。ぼくは助っ人です。オーディション後にレイジーを抜けるつもりでしたが、本番はオーディションと同じメンバーでないとダメというルールがあり、3~4カ月先の収録まで残ることになりました。
本番の収録会場は大阪・十三近くのスタジオ。高校の友達も応援に駆けつけてくれました。どれくらい緊張したかとか、当日のことはよく覚えていないのですが、プロの楽器を見て「やっぱすごいなー」と感心していました。
演奏は一発勝負で、試験を受けるような気分でした。弾いたのはディープ・パープルの「BURN」。最も演奏が難しいと評判だった曲にあえて挑戦しました。演奏後、司会の1人だったかまやつひろし(ムッシュかまやつ)さんの控室に招かれました。そして一言。「君たち東京でプロにならないか」