ひらめきブックレビュー

コロナ前に戻らない選択とは イタリア物理学者の警鐘 『コロナの時代の僕ら』

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一時は全国に出されていた緊急事態宣言が解除され、コロナ後の「新常態(ニューノーマル)」がスタートした。しかし、第二波、第三波の可能性が指摘される中、自粛による経済不況の生活への影響も不安視され、つい焦り、落ち着かない気持ちになってしまう。

そんな今読みたいのが、本書『コロナの時代の僕ら』である。今年2月末から3月にかけ、感染者が急拡大するイタリア・ローマで執筆された、コロナと向き合う社会を思索する27本のエッセーだ。著者のパオロ・ジョルダーノ氏は、物理学博士号を持つイタリアの小説家。感染者数や経過日数など数字を巡る考察や新たな視点によって、不安の中で新常態に突入しようとする私たちを、冷静にさせてくれる。

■「すべて僕たちのせいだ」

よく指摘される通り、グローバル時代における感染症は、一気に世界中に拡大し、人類全体の問題となる。著者はこれを、「僕らのすること・しないことが、もはや自分だけの話ではなくなる」と説明し、自分が今夜の誕生パーティーにいくことで、医療体制の整わない新興国に感染を伝播(でんぱ)させるかもしれないと、想像を及ばせる。

逆説的なようだが、これは、感染拡大が特定の誰かのせいではない、ということでもある。著者の友人の妻の日本人女性が、スーパーで知らない男たちから、感染拡大について「お前らのせいだ」と怒鳴られたという。しかし、ウイルスにとっては75億の人間すべてが「交通網」であり、風が花粉を運ぶように、誰もがウイルスの運び手となりうる。特定の個人や人種を責めることはナンセンスだ。

著者は、「お前らのせい」ではなく、あえて言えば「すべて僕たちのせいだ」と述べる。環境破壊によって人間とウイルスの距離が近づいたという説も踏まえた言葉だろう。グローバル時代の感染症の拡大は、人類の「連帯責任」というわけだ。

■不意を突かれないために

コロナ後を迎える今、私たちは何をすべきで、何をしないべきだろうか。

著者は、「元どおりになってほしくない」ことについて考えようと呼びかける。例えば、市民と行政と専門家の間に不信があり、その不信が対応の遅れを呼び、遅れが犠牲をもたらしたこと。センセーショナルな新聞の見出しや根拠のないニュースなど、感情的でいい加減な情報が飛び交ったことなどだ。今回のような世界的流行(パンデミック)は、これからも必ず起きる。その時、不意を突かれないためには、これまで通りの暮らしや考え方を続けていてはならない。メディアや政治、社会の在り方、そして自分自身も変えていかなければならないというメッセージだ。

著者はほかにも、人間をビリヤードの球に例えたり、ウイルスの目から人間を見たりと視点をさまざまに変えながら現状を思索する。そこには、新常態を「元どおり」以上に良くするために、私たちがなすべきことのヒントがある。折に触れ、読み返したい一冊だ。

今回の評者=前田真織
2020年から情報工場エディター。2008年以降、編集プロダクションにて書籍・雑誌・ウェブ媒体の文字コンテンツの企画・取材・執筆・編集に携わる。島根県浜田市出身。

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