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JCの活動でスピーチや議論を鍛えられた(1975年、立っているのが本人)

JCの活動でスピーチや議論を鍛えられた(1975年、立っているのが本人)

石川県内にとどまらず、日本の旅館の代表格である加賀屋(同県七尾市)。3代目の社長で現取締役相談役の小田禎彦氏は、旅行業界紙の「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で長く連続日本一に選出されたサービスの礎を築いてきた。小田氏の「仕事人秘録」第6回では、日本青年会議所(JC)で視野を広げた経験を振り返ります。

◇  ◇  ◇

JCで財界活動にデビュー

旅館経営と並行して、日本青年会議所(JC)での活動にも取り組んだ。牛尾治朗氏(ウシオ電機会長・元経済同友会代表幹事)や、麻生太郎財務相らの知己を得る。同世代の若手経営者が、時事問題を論理立てて議論する姿に刺激を受けた。

「おまえはいつもわがままで短気ばかり起こす。一回、大きな場でもまれて来い」。大学を出たばかりで、鼻っ柱が強かった25歳前後のこと。加賀屋がある石川県七尾市の和菓子店の経営者、宮川常五郎さんに勧められ、JCの活動に参加することになった。

安全保障や農業といった時々の大きな問題について、みんなで討論を繰り広げる。北陸ブロックの会で、初めて北陸新幹線を取り上げたのも、この頃だった。

他のメンバーが豊富な知識を理論付けして語るのを見て、自分が恥ずかしくなってきた。大学まで出たのに、議論はおろかスピーチや議事の進行もろくにできない。鼻をへし折られて、勉強なしでは世間で通じないと痛感した。JCをやめたい、と本気で思う時期もあった。

それでも、終わった後の懇親会は楽しみだった。銀座のクラブなど、格好いいところにも連れて行ってもらった。当時から弁舌の切れ味が抜群だった牛尾さんには「おい、能登の若いの」と呼ばれ、かわいがってもらった。セメント会社の経営にたずさわっていた麻生さんとは同い年。せんえつながら、「太郎ちゃん」と呼ばせてもらっていた。

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