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藤沢通夫氏(左)に旅館のあり方を教わった(右が本人、旅館業界の会合で)

藤沢通夫氏(左)に旅館のあり方を教わった(右が本人、旅館業界の会合で)

石川県内にとどまらず、日本の旅館の代表格である加賀屋(同県七尾市)。3代目の社長で現取締役相談役の小田禎彦氏は、旅行業界紙の「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で長く連続日本一に選出されたサービスの礎を築いてきました。小田氏の「仕事人秘録」第4回では、ホテルか旅館かで思い悩んだ頃を思い返ります。

<<(3)ホテル研究会で実践積む 未来の妻・女将との出会い

「いいとこどり」に考えが及ばず

1962年、立教大を卒業し、父が社長を務める加賀屋に入社する。同年、大学のホテル研究会の先輩だった真弓夫人(現女将)と結婚する。

親に家業を継げといわれたことは一度もない。友人からは「おまえ変わってるな。実家に帰るなんてふ抜けだ」と言われた。でも、父が小田家で初めて大学に出してくれたのは、跡継ぎをやれ、という意味だと受け止めていた。

真弓には卒業する前に「帰るけど、一緒に来てくれるか」と伝えていた。いま思えば、恋愛感情だけでなく、将来の女将として、両親の目にかなうだろうという計算もあったかもしれない。実際に会わせると、母が「明るいし、元気そうだ」と気に入り、大学を出た年の秋に結婚した。その後、二人三脚で旅館を切り盛りするようになる。

大学でホテルを研究して分かったのは、効率のよさだった。フロント、ルームサービス、ランドリーなど分業が確立している。一方、旅館は1人の客室係がお客に付き、ほぼすべての面倒を見る。業務の定型化が難しく、非効率な面も多い。時代に取り残されないように、名前を「グランドホテル」に変えたほうがいい。真剣にそう思っていた。

意気軒高に父に話すと「何をのぼせたことを言ってるんだ」と一喝された。「カニは甲羅に似せて穴を掘る。うちの身の丈でホテルができるか」と。こちらもホテルの仕組みの優位性を訴えて譲らなかった。若さゆえか、両方のいいとこどりをすればいい、という発想もなかった。

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