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働き方・学び方
ダイレクトメッセージ

2013/3/26

ダイレクトメッセージ

「娘が変わるにはどうすればいいのでしょう」と率直な質問を先生にぶつけた

4番目の子(3女)の話です。通っている高校の進学相談があり、私と妻と娘、それに先生2人で面談しました。

先生は「今の成績では、これから勉強を頑張ったとしてもこの辺の大学でしょう」とおっしゃる。こちらも「そうですか」となりますが、本人には入りたい大学があったのです。

長い面談の終わりがけに、私は少し話をさせてもらいました。「そのご指摘はわかります。でも私が知りたいのは娘がどうすれば変われるのか、なのです」。例えば、レベルの高い大学に入りたいのなら、まずは専門学校に進んで勉強し、それから大学進学を考えてみたらどうか、といったような言葉が欲しかった。

うちの子に限らず子供たちには驚くほどの潜在能力が眠っています。数字で輪切りにするのでなく、若者の可能性をいかに引き出していくのか。しんどい作業でしょうが、難しい時代だからこそ学校教育に求められている気がします。

工藤家は常に私中心に回っていて、子供たちには本当に苦労をかけてきました。私がチームを移籍するたびに学校も変わり、仲の良かった友達と分かれ、また最初から新しい人間関係をつくることになりました。それでも愚痴ひとつ漏らしたことがありません。

5人の子供たちに、どれだけやりたいことをやらせてあげられたのか、と考え込むこともあります。だからこそ思うのです。1回しかない人生でチャレンジしたいことがあるなら、親が一歩踏み出す勇気を与えてあげよう、と。子供の人生が後悔の少ない、充実感にあふれたものになるにはそれしかないのではないか。時にハラハラしながら、ひたすら見守る。ダメな部分も含め、じっと見続ける。私はそれこそが親としての自分の役割だと信じています。

工藤公康(くどう・きみやす) 1981年度のドラフト6位で名古屋電気高(現愛工大名電高)から西武に入団。落差のあるカーブと相手打者の心理を読んだ配球を武器に、大舞台に強い左腕として西武の黄金期を支えた。生活の乱れから一時成績が落ち込んだが、食事の改善や大学教授らと連携したトレーニングで低迷から脱却。86年から2年連続日本シリーズMVP。95年ダイエー(現ソフトバンク)にフリーエージェント(FA)で移籍、捕手の城島健司(引退)を育て、99年にチームを日本一に導き「優勝請負人」と呼ばれた。2000年には2度目のFAで巨人へ。07年から横浜に移り、10年に西武に復帰。同年オフに戦力外となり、11年12月引退を表明。プロ野球29年間で224勝142敗3セーブ。最高勝率、最優秀防御率各4度など多くのタイトルに輝く。1963年5月5日生まれ、愛知県豊明市出身。日刊スポーツ評論家。
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