3代目ロードスター開発、軽さ求めて「グラム作戦」
元マツダ「ロードスター」開発主査 貴島孝雄氏(9)
「3代目」では1グラムの無駄も見逃さず軽量化に取り組んだ
自動車メーカーのマツダに籍を置き、二人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務めています。貴島氏の「仕事人秘録」第9回では、3代目ロードスターで挑んだ軽量化を振り返ります。
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米フォード出身役員を巻き込む
経営再建を進めていたマツダにとって、RX-8との車台共有化はコスト削減策の一環だった。共有化すればRX-8とロードスターを同じ生産設備で製造できる。会社は当初、部品も共有化する方針だった。ただ部品まで共有化すると小型軽量でなくなってしまう。
私はロードスターには軽量化した専用部品が絶対必要だと考えていた。RX-8は車両重量がロードスターより約200キログラムも重い。RX-8の部品はロードスターにはオーバーサイズでそのまま使うと性能が落ちてしまう。
そうした時、米フォード・モーターから派遣されていた開発担当役員が交代することになった。私は新しく赴任するジョー・バカーイ氏(当時常務)がキーマンになると考えた。こういう事は最初が肝心だ。赴任するとすぐ、英訳した初代ロードスターの企画書を使って「人馬一体」のコンセプトを詳しく説明した。
米自動車技術者協会(SAE)で発表した論文も読んでもらった。そして専用部品を開発した方がいいクルマができ、結果的に販売台数が増えると訴えた。幸い、バカーイ常務は小型オープンスポーツカーの本場である英国出身だった。小型軽量の重要性をよく理解してくれた。
その後、常務はマツダの三次自動車試験場(広島県三次市)に30回以上も試乗に来てくれた。試乗に来るたび、小型軽量を維持するように開発チームに細かく指示を出してくれた。常務が言ってくれるので、私は笑顔でうなずいていればよかった。
残念ながらバカーイ常務は3代目ロードスター発売直後に欧州フォードに異動になった。広島に立ち寄るごとに「日本カー・オブ・ザ・イヤーは取れそうか」と気にしてくれていた。受賞が決まった時に電話で報告したら、とても喜んでいた。