「人馬一体」の楽しさが原点、チームで共有めざし論文元マツダ「ロードスター」開発主査 貴島孝雄氏(8)

チャートや写真を使って「人馬一体」を英語で説明した
チャートや写真を使って「人馬一体」を英語で説明した

自動車メーカーのマツダに籍を置き、二人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務めています。貴島氏の「仕事人秘録」第8回では、3代目ロードスターの開発準備当時を振り返ります。

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RX―7の経験をロードスターに生かす

2代目ロードスターを発売してから4年後の2001年、貴島氏は上司に開発主査交代を示唆された。定年まで8年を残し、どうするか悩んでいたところ、02年初めに別の上司に呼び出された。

3代目でも開発主査を引き続きやってくれという。詳しいことはよく分からないが、どうやら経営会議で当初の人事案が翻ったらしい。貴島の「貴」は「鬼」と書いて「鬼島」だと社内で言われていたぐらいだ。断ろうとも考えたが、思い直した。

ロータリーエンジン搭載の中型スポーツカー「RX―8」のプラットホーム(車台)をベースにして、3代目ロードスターを開発する案が有力になっていたからだ。そのままでは車体が大きくなり、ロードスターの特徴である小型軽量が失われる恐れがあった。私が開発主査になることでその懸念をなくそうと考えた。

「では、私の思い通りにやらせてもらいます」と言って引き受けたら、上司は「思い通りにやることは許さん。会社の指示に従え」とくぎを刺した。「ええー」と思ったが、とにかく3代目も開発主査をやることになった。

「3代目は身上つぶす」という言葉がある。初代が成功すれば、2代目はその遺産で食べていけるが、3代目の全面改良で駄目になってしまうクルマは少なくない。「RX―7」が3代目で生産中止になってしまったことに責任の一端を感じていた。技術とビジネスのバランスを取るというRX―7での経験は3代目ロードスターの開発で生かそうと考えた。

世界のベンチマーク(比較対象)となる小型オープンスポーツカーをつくることを目指した。騎手と馬のように運転手とクルマが心を通い合わせる「人馬一体」のコンセプトや「乗って楽しい」という考えは3代目も通用するだろう。しかし、実は初代がどのような経緯で誕生したのか詳しく知らなかった。

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