次世代カーの開発で先んじる スバルの「空飛ぶ」DNA『スバル』

「空飛ぶクルマ」が話題を集めつつある。定義はいろいろあるが、電動で垂直離着陸が可能な小型の有人飛行体を指すことが多い。現在、国内外で大手、スタートアップが入り乱れた開発競争が繰り広げられており、2020年1月にはトヨタ自動車が「空飛ぶタクシー」を開発する米スタートアップに3億9400万ドル(約430億円)を出資すると発表、空飛ぶクルマに本格参入すると報じられた。

そのトヨタと資本提携を強化し、同社の持ち分法適用会社となったのがSUBARU(スバル)である。トヨタとスバルは新型車や自動運転などの次世代技術の開発で連携を強化すると報じられるが、本書『スバル』で著者はスバルこそ、空飛ぶクルマの開発に適任ではないかと述べている。なぜなら、スバルの前身は、戦前・戦中に戦闘機を生産していた中島飛行機だからだ。

本書は、中島飛行機から富士重工業、スバルに至る製品・技術開発と経営の歴史を辿るノンフィクション。著者の野地秩嘉氏は1957年生まれのノンフィクション作家で、人物ルポルタージュをはじめ、ビジネス、食や美術、海外文化などの分野で活躍中だ。

飛行機の尾輪でスクーター

1917年に設立された中島飛行機は、最盛期には147の工場、26万人の従業員を擁し「東洋一の航空機メーカー」といわれた。戦後、富士産業として再出発するも、GHQ(連合国軍総司令部)から解体命令があり、国内各地の工場群の単位で15社に分割される。各社の工場では、航空機メーカーのスピリットを胸の奥に秘めながら、残された機械や部品、技術力を使い、農機具や鉄道車両、バスのボディーなどの製造に携わることになる。

そのうち太田工場と三鷹工場で手がけ、ヒットしたのが「ラビットスクーター」である。倉庫に残っていた飛行機の尾輪を流用して開発。1947年に市場に出て、指揮者の小澤征爾氏が欧州での「武者修行」する際の足となったことでも知られる。

その後、15社のうちいくつかが富士重工として合同し、自動車メーカーとして数々の名車を生み出していくのだが、現在に至るまでスバルが徹底してこだわるのが「安全性」である。そして、それは中島飛行機時代にフランスから招聘(しょうへい)されたアンドレ・マリー技師の教えが引き継がれているのだという。

例えば、視界を広くして安全に運転できるよう、スバルの自動車は窓を大きくとっている。日本で初めて標準装備したデフロスター(霜取り装置)や、水平対向エンジン、四輪駆動、アイサイトといったスバル車を特徴づける各技術は、いずれも走行の安全に寄与するものだ。

もし今後、スバルが空飛ぶクルマを開発するとしたら、この連綿と受け継がれた安全技術の伝統が、大いに発揮されるに違いない。同社の「ヒコーキ野郎」のスピリットは、はたしてどんな未来を見せてくれるのだろうか。

今回の評者 = 吉川清史
情報工場SERENDIP編集部チーフエディター。8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」の選書、コンテンツ制作・編集に携わる。大学受験雑誌・書籍の編集者、高等教育専門誌編集長などを経て2007年から現職。東京都出身。早大卒。

スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ

著者 : 野地 秩嘉
出版 : プレジデント社
価格 : 1,870円 (税込み)

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