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宇品工場で異例の生産中止の式典を開いた

宇品工場で異例の生産中止の式典を開いた

自動車メーカーのマツダに籍を置き、二人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務めています。貴島氏の「仕事人秘録」第5回では、「RX-7」が生産中止に追い込まれた事情を明かします。

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フォード主導の経営再建が逆風に

バブル崩壊で業績不振に陥ったマツダは1996年、米フォード・モーターの出資拡大を受け入れる。ヘンリー・ウォレス社長の下、フォード主導の経営再建が始まった。貴島氏が開発に力を注いだスポーツカー「RX-7」も生産見直しの対象となる。

91年に3代目RX-7を発売し、92年に開発主査を引き継いだ。ただバブル崩壊で95年には米国での販売中止が決定し、国内販売も減少していた。

開発主査となった以上、販売や採算を含めて責任を持たなければいけない。だが技術者としての誇りや「ものづくり」へのこだわりは持ち続けようとした。技術者魂とビジネスの両立に苦労した。

スポーツカーに携わる技術者の意地として、RX-7のエンジン出力を国内規制最大の280馬力まで引き上げることにこだわった。上から言われた通りにビジネス優先でクルマをつくるのは簡単だ。それで失敗しても責任は問われないかもしれない。だがジャーナリストや購買者は見ている。「この程度のクルマか」と思われるのは、技術者のプライドが許さない。

貴島の貴は「鬼」と書いて「鬼島」だと言われるぐらい技術には厳しかった。技術はウソをつかない。1キログラムを900グラムとはいえない。ごまかしがきかないのだ。よく「頑張ります」と返事をする人がいるが、そんな言葉は信用しない。頑張るだけで結果が出なければ意味がない。

ただ開発主査は服の上からかゆい背中をかくような仕事だ。思いを開発チームに伝えることのまどろっこしさを痛感した。フォードからゲーリー・ヘクスター氏(故人)が財務担当役員として派遣されていた。経営会議の前には毎週のように呼ばれ、何度もこう尋ねてきた。「この案件はロバスト(頑健)か」と。

趣味性が強いスポーツカーがビジネスとして成り立つか疑問を抱いていたようだ。バブル崩壊後、市場は縮小していた。マツダには「性能が良ければ価格が高くても売れる」という考えが一部にあった。しかしフォードは「価格は顧客が決めるもの」という考えをマツダに持ち込んだ。

私はRX-7を存続させるため、マツダにとって「ロータリーエンジン」がいかに重要か訴えた。ロータリーエンジンを失うと負け犬になると思っていた。業績が悪化するなかで、開発期間短縮などコスト削減に取り組んだ。技術開発と採算性というプレッシャーが重くのしかかってきた。

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