「世界一級」めざした3代目RX-7、零戦にも学ぶ
元マツダ「ロードスター」開発主査 貴島孝雄氏(4)
「RX-7」開発のため部署横断のチームを組んだ(右から初代、2代目、3代目のRX-7)
自動車メーカーのマツダに籍を置き、二人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務めています。貴島氏の「仕事人秘録」第4回では、3代目RX-7の開発秘話を明かします。
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チーム組織し縦割り排除
新型車は通常、発売開始から日にちがたつにつれて販売台数が落ちていくのだが、2代目RX-7は尻上がりに販売台数を伸ばしていった。バブル景気で個人消費が拡大していたことに加え、スポーツカーとしての認知度が徐々に高まったのだろう。
3代目を開発するに当たり、上司の小早川隆治開発主査は「世界一級のスポーツカー」を目標にした。開発リーダーを任された私は88年、社内で部署横断の「タスクフォースチーム」を編成した。3代目RX-7を世界最高級のスポーツカーにする特命を持ったチームだ。
リーダーとして車体やシャシー、内装、電装など各分野で、モチベーションが高く、協調性があると見込んだ二十数人の技術者を社内で選抜した。チームを組んだのはセクショナリズムを打ち破るのが狙いだ。
違う部署に設計変更を頼みに行くと「難しい」「忙しい」と断られることが少なくない。仲間同士であれば、意見が言いやすく、効率的に仕事が進む。
チームをまとめるため「ゼロ作戦」を掲げた。旧日本海軍の戦闘機「零(ゼロ)戦」の製造技術に学び、無駄な重量をゼロにするという二つの意味を込めた。我々が零戦に着目したのは、素材に超ジュラルミンを採用するなど機体の軽量化を徹底した点と、金属板を骨組みとつなぎ合わせるリベットを沈頭鋲(びょう)という出っ張りがない形状にして空気抵抗を下げた点だ。
景気がよかったせいもあり、ある資産家がミクロネシアのヤップ島から三菱重工業製の零式戦闘機の残骸を5機分持ち帰り、復元していた。チームのメンバーで見学し、その技術力に「ここまでやるか」と感動した。当時の技術者の心意気を共有するのが狙いだった。ただ、米国人にとって零戦のイメージは良くない。ゼロ作戦についての開発秘話は米国販売を中止するまで封印していた。
3代目RX-7はデザイン性の高さも評価された。ラジエーターを斜めに設置するなどユニークな試みを採り入れいる。チーム内で遠慮なく議論できたから、デザインと機能を融合できた。