ひらめきブックレビュー

台地なのになぜ「窪」が付くのか 災害地名を読み解く 『地名崩壊』

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「災害地名」という言葉を聞いたことがあるだろうか。災害との関連性が高いことを示す地名とされ、とくに東日本大震災の後に取りざたされた。「窪」や「谷」、「蛇」など、特定の文字や読みが入っている地名は、災害が起きやすい危険な場所である――こうした言説を「なるほど」と感じた方も少なくないかもしれない。

ところが、地名の読み解きはそんな「分かりやすい」ものでもないようだ。本書『地名崩壊』によると実際の地形とそぐわない地名の例は珍しくない。例えば「窪」とつく地名は、くぼ地ではなく平らな台地上にあることが多い。平らな土地を「平」と名付けても特徴を語ったことにならず、そこにあるわずかなくぼ地をネーミングするものなのだ。そしてそもそも、ここが本書の大事なところなのだが、その土地の特徴を表現した歴史的地名の多くが、今では失われつつあるという。

背景には関東大震災の復興事業など近現代の出来事や、住民のブランド志向などさまざまな要因が関わっているようだ。本書はそうした事情に触れながら、地名がどのように変化してきたか、いかに歴史的な地名が消えているかについて説明している。著者の今尾恵介氏は多数の著作がある地図研究家。

■「わかりやすさ」と引き換えに失うもの

大正12年の関東大震災後に行われた復興事業に伴う区画整理は、現在の東京の交通網の基礎をなす画期的な事業だった。だがこのとき、町の統廃合に伴い数多くの地名が失われたという。

例えば現在の「銀座」エリアはもともと、南紺屋(みなみこんや)町、元数寄屋(もとすきや)町、弓町、鎗屋(やりや)町など江戸時代から続く多彩な町名があったという。だがそれらはすべて「銀座1~8丁目」とナンバリングされた。さらに銀座の東側にあった、江戸城修築に集まった製材職人を意味する「木挽(こびき)町」は「銀座東」と改称。このように既存地名を無くし「銀座」を称するエリアが続々と広がった。その理由として、地名には読みやすい常用漢字が推奨されたこと、すでに銀座が「ブランド地」として認識されていたことがあるようだ。

歴史的地名が消えたのは東京だけでない。平成に入ってからは、全国で「カタカナ町名」が増えたことも著者は指摘している。平成20年、滋賀県湖南市の「菩提寺」という由緒ある町名から「サイドタウン1~4丁目」という町名が誕生。時期を同じくして、岐阜県各務原市には須恵器にちなむ須衛町の一部が「テクノプラザ」という町名になった。

著者の心配は、現代の感覚で行う安易な地名の改変が、その土地のもつ歴史的文脈を断ってしまうことだ。ある程度の変化は必要だとしても、その土地の特徴や由縁よりも、住む人にとって聞こえのよい地名が広がる裏側には、分かりやすさを良しとする現代的な傾向が関係しているのかもしれない。谷と付く土地は危険、などと思い込みを持つ前に、開いておきたい一冊だ。

今回の評者=安藤奈々
情報工場エディター。8万人超のビジネスパーソンに良質な「ひらめき」を提供する書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」編集部のエディター。早大卒。

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