スランプ、どう乗り切る? 選手に聞く対策[PR]SMBC日興証券の障がい者アスリートたち シリーズ2

2020/1/31
写真提供:SMBC日興証券、日本デフ陸上競技協会

人生には山も有れば、谷もある。それでも日々練習に汗を流すアスリートにとって、思い通りの成績を長らく出せずにいると、さすがにつらい。暗く長いトンネルを抜け、次なる飛躍に向けてメンタルをいかに育み、維持するか。また食事の秘訣とは――。

「スタジアムの外にヒントがある」

2000年の国際大会以降、5大会連続で代表的な国際大会に出場した経験を持つ義足ジャンパー、鈴木徹選手のスランプ解消法は「他の分野に関心を向けること」。悩みを解決するヒントは「外」に転がっているからという。

鈴木徹(すずき・とおる)山梨県出身、パラ陸上走り高跳び(T64クラス)。2000年シドニーよりパラリンピック5大会連続出場。ドバイ2019世界パラ陸上競技選手権大会銅メダル。T64クラス世界記録保持者。下腿切断。(写真提供:SMBC日興証券)

大学入学の直前、自らが起こした交通事故で右足を失った。それまではハンドボール選手として国体3位の成績を残すなど活躍していた。片足切断とハンドボールとの決別はショックだったが、では次にどんなスポーツが可能かを考えたことで、立ち直りは早かったと振り返る。

スポーツにかける強い思いがあったからだ。原点は幼少期に遡る。きつ音が原因で、いじめを受けた。だが、スポーツならば言葉はいらない。よくできたら、周囲から褒めてもらえる。いかなる障がいを抱えても、スポーツは一生続けるべきものである。いつしかそう考えるようになっていた。

右足切断後、バスケなど車いすによる種目も検討したが、最終的に義足ジャンパーとして生きる道を選んだのは、持ち前のジャンプ力が生かせ、自分の足で立ち競技に挑みたいという強い思いからだった。

当初はロケットスタートを切れた。事故から1年後、リハビリの一環で始めた練習初日に何と当時の日本記録を軽々と突破。その後も自己ベスト更新を続けたが、ひざを痛めた2007年以降、スランプに陥る。

「あと1センチをいかに克服するか」という課題は、「1円でも多い売り上げを目指す企業経営者の苦労と同じではないか」。ふとそんな考えが浮かび、ビジネス本を手にしたり、テレビの経済番組を見たりするようになった。違う畑の情報が実は意外に役に立つ。そう気づいて以降、一段とマインドセットに弾みがついた。

スキーのターンの仕方が、高跳びのコーナーの動きのヒントになり、動物園でサルがジャンプする様子を見て、普段の練習方法を見直した。国際大会に出場しても、積極的に外国人選手と情報交換するようにしたことで、自分にプラスになることがぐんと増えた。

鈴木選手は、国際大会で積極的に外国人選手と情報交換するという

記録を出すために何が必要かを考える。その答えは意外に練習場や競技会場の外に転がっている。これは、と思ったことはトライし、ダメならまた次のことを試すまで。失敗を失敗と思わなければ、気持ちは随分と楽になる。

鈴木選手は2018年秋から社内の「CHO(チーフ・ヘルス・オフィサー)」の職を担う役員を補佐する「CHOアドバイザー」のポストにも就いている。社員の健康保持増進に役立つコラムを執筆したり、デスクワークの合間にできる「ちょこっとエクササイズ」のミニ動画に出演したりしてきた。「ストレスがたまると、人は酒やタバコに向かいがち。大事なのは心」と鈴木選手。アドバイザーの立場で伝えたいのも、やはり自身の選手生活の中で痛感するメンタル管理の重要性に他ならない。

食事見直し、娘に見せるアスリートの姿

記録への挑戦もさることながら、アスリートにとって気になるのは体力の源となる「食事」だろう。デフ陸上(100メートルハードル)のママさんアスリート、田井小百合選手は昨年、一般社団法人食アスリート協会の食アスリートシニアインストラクターの資格を取得したのを機に、主食であるご飯中心の食生活に切り替え、手応えを感じる一人だ。

田井小百合(たい・さゆり)千葉県出身、デフ陸上100メートルハードル。2013年ブルガリアよりデフリンピック2大会連続出場。100メートルハードル日本ろう・アジアろう記録保持者。聴覚障害。(写真提供:日本デフ陸上競技協会)

小学生の頃から陸上のハードル競技でトップランナーとして走り続けてきた田井選手が、突発性難聴で右耳の聴力を失ったのは23歳のとき。それでも「左耳は聞こえる」と競技生活を続け、30歳で引退を決めるまで右耳の障害については周囲の一部にしか明かさずにきた。

引退直後、今度は頼みの「左耳」に急性進行性難聴が発症、「音のない世界」で生きる恐怖を田井選手は一時的に味わった。そのどん底からはい上がれたのは、4年に1度、世界規模で開催される聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会、デフリンピックとの出合いだった。

アスリート人生を再スタートしたものの昨年、練習中に肉離れを起こした。治療とリハビリで1シーズンまるまる棒にふる状態に陥ったことが、アスリートとしての自分の伸びしろについて見つめ直す機会につながった。

新たな指導員の資格取得にチャレンジする夫の姿に触発されて、自分も食とスポーツに関する資格をとろうと決意。食事のありようを根本から学び直す過程で再認識したのがコメパワーだった。

アスリートとして食事、特に栄養面には人一倍気をつかってきたという自負がある。筋力をつけるため、肉類などたんぱく質を多めにとり、食品群も可能な限り多く摂取しバランス良い食事を心がけ、練習後にプロテインを飲むのも日課だったが、それを食アスリート協会が提唱するエネルギー源であるご飯中心の食事に切り替えた。

食べる量がこれまで少なすぎたと反省し、以来、朝昼晩にしっかりご飯を1食(250グラム)食べ、おかずは肉か魚のどちらか一皿、あとは野菜たっぷりの具だくさん味噌汁という献立に。

体の中で新たな循環を感じるのは、肌質の改善や便通がさらに良くなったせいもある。それまで季節の変わり目に決まって体調を崩し、夏バテも常だったのが、ごはん中心の生活に変えてから一切無縁でいるのが何よりの驚きだった。体そのものが自然と変化し、もうプロテインやサプリメントの世話にならずとも大丈夫。そんな自信すら湧いてくる。

ご飯中心の食生活に変えて手応えを感じている田井選手

「実はあと5キロ、体重が欲しい」と田井選手。陸上のハードルは一定の滞空時間がある。向かい風が強いと、体重がないとあおられてしまうから、という。

次なる目標は2021年のデフリンピック。前々回の大会では銅メダルだった。当時2歳の一人娘によれば、メダルをかけてもらったのは覚えているが、母親が競技に挑む姿の記憶はないという。

年齢的にも現役で参加できる最後の大会になるかもしれない。だからこそ、競技にかける自身の姿を娘の目にもしっかりと焼き付けてもらい、もう一度、かけてあげたい。さらに輝きを放つメダルを。

現役引退後も社内で活躍を期待
SMBC日興証券人事部ダイバーシティ推進室の勝具子室長
法律で企業は一定割合以上の障がい者を雇用するよう課せられています。とはいえ法定雇用率を達成すればそれで良しとは考えていません。障がい者アスリート社員には現役引退後も社内で活躍してもらいたいと考えており、人生設計のサポートをしています。定期的に本社に集まってもらい、経営理念ミーティングを開催したり、商品の勉強をしたりしているのも社員としての自覚を培ってもらうためです。全支店において店舗入口の段差をスロープに変更、スロープ設置が不可店舗については簡易スロープを配布しハード面でのバリアフリー化を完了。組織のダイバーシティも進め、共生社会の実現を目指します。

SMBC日興証券の障がい者アスリートたち・シリーズ

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