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世界ラリー選手権を走る「RX-7」を支援するため欧州に何度も出張した

世界ラリー選手権を走る「RX-7」を支援するため欧州に何度も出張した

自動車メーカーのマツダに籍を置き、二人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務める貴島氏の「仕事人秘録」。第3回は、初代、2代目RX-7の開発当時を振り返ります。

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初代RX-7が日米で大ヒット

1975年にロータリーエンジン搭載の新型スポーツカー「サバンナRX-7」をトラック部門で開発することになった。当時26歳だった貴島氏は、サスペンション開発を担当する。

三輪トラックでスタートしたマツダだったが、当時は「ファミリア」や「カペラ」など乗用車が主流になっていた。トラック部門には商用車をやらされていると感じている社員も少なくなかった。私も自動車メーカーに入社したからには一度はスポーツカーを開発したいという思いがあり、RX-7の話を聞いて、がぜんやる気になった。

RX-7は独ポルシェ「924」をベンチマーク(比較の対象)にした。左右の車輪が連動しない「ワッツリンク」というサスペンション技術をマツダで初めて導入した。荒れた路面でも安定した走行性能を確保できる技術だ。ヘッドランプはポルシェのように使用しないときは車内に収納する「リトラクタブルヘッドランプ」を採用した。

石油ショック直後だっただけに、運輸省(現国土交通省)が燃費が悪いスポーツカーの発売を許可しない懸念があった。そこで、どう見てもスポーツカーなのに「スポーツルッキングカー(スポーツカーに似た車)」と称した。昼間はヘッドランプを収納することで空気抵抗を3%低減できるので燃費も改善すると主張した。

運輸省が難色を示した場合に備え、スポーツカーらしくないようにみせるため、ヘッドランプが常に外に出ているタイプも開発していた。しかし結局運輸省からは何も言われず、取り越し苦労に終わった。

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