人馬一体の走り求めて マツダ「ロードスター」の思想元マツダ「ロードスター」開発主査 貴島孝雄氏(1)

日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しシャンパンをかける貴島氏(2005年11月)
日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しシャンパンをかける貴島氏(2005年11月)

自動車メーカーのマツダに籍を置き、2人乗り小型オープンカー「ロードスター」の開発主査を務めた貴島孝雄(きじま・たかお)氏は、スポーツカーの世界では伝説的なエンジニアです。マツダを定年退職後、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学の教授を務める貴島氏の「仕事人秘録」。第1回では、ロードスターへの特別な思いを語ります。

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3代目で悲願の栄冠

2005年11月。東京の六本木ヒルズで、同8月に全面改良した3代目ロードスターが「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を獲得した。マツダにとって23年ぶりの栄冠だった。「この車でカー・オブ・ザ・イヤーを取りたい」という強い思いで開発に取り組んできた。それだけに受賞が決まった瞬間は涙で周りがぼやけて見えた。

正直に言えば、受賞できる確信はなかった。トヨタが高級ブランド「レクサス」を国内で立ち上げた年だったからだ。そんな時に販売台数が月数千台のロードスターで受賞したいと思うのは高望みではないかと思った。実は1989年発売の初代ロードスターはトヨタの高級車「セルシオ」に敗れ、日本カー・オブ・ザ・イヤーを逃している。

しかし多くの自動車ジャーナリストに評価していただいた。私の仕事のサイクルや運もあったと思う。

私は初代ロードスターでは、平井敏彦開発主査(当時)の下でシャシー開発を担当した。疾走する馬上からかぶら矢を射る流鏑馬(やぶさめ)の騎手と馬のように、運転手と自動車が心を通い合わせる「人馬一体」をコンセプトに掲げた。この考え方は2代目以降も引き継いでいる。

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