スマートフォンの登場で厳しい状況にあるカメラ・プリンター市場。そんななか、キヤノンが2018年に発売したスマートフォン専用のミニフォトプリンター「iNSPiC(インスピック)」シリーズが順調に売り上げを伸ばしている。19年6月にはカメラ機能と印刷機能を備えた新モデルが登場した。
販売台数は当初計画の5割増し、女性に刺さった理由は……
2019年6月6日にキヤノンマーケティングジャパンから発売された「iNSPiC ZV-123」、同7月25日発売の「iNSPiC CV-123」は、スマートフォン専用ミニフォトプリンター「iNSPiC」シリーズの最新モデル。従来モデルにカメラ機能を追加した、インスタントカメラのような商品だ。専用のフォトペーパーはシール紙になっており、手帳やノートに貼れるということで、20~30代の女性を中心に人気を博している。
「販売台数は当初計画の5割増し」と話すのは、キヤノンマーケティングジャパン コンスーマビジネスユニット コンスーマ商品企画本部 iNSPiC商品企画課の吉武裕子氏だ。「当初は(インスタントカメラのように)撮影したその場で友達に渡して楽しんでもらう想定だった。しかし、実際は7~8割の人が自宅でシールプリンターとして使っていた」とのこと。ユーザーの多くは、ライフログや育児ノート、トラベルノート、食事の記録などにiNSPiCを使っていたのだ。
そこにヒットの理由が隠れていた。
「発売前に、高校生から社会人までの約30人に製品を渡して使ってもらった。すると、印刷してそのまま持ってくる人はなく、手帳やノートに貼ったり、ちょっとした贈り物を作ったりという人が多かった」と吉武氏。
特に目立ったのは手帳に貼る使い方だ。1日1ページ分のスペースが用意されたシステム手帳を使って、「きれいなイラストや文字で日々の記録を残したい」という女性は多い。しかし、実際はそうそう書くことがあるわけではない……そんな悩みを抱えるユーザーにiNSPiCが刺さった。
「今までは、センスのある人が手帳をおしゃれに使いこなしてSNSなどで公開していた。しかしiNSPiCを使えば、おしゃれに加工した写真を手帳に貼ってコメントを添えるだけで“絵”になる。手帳ユーザーのニーズにiNSPiCが応えたのだと思う」と吉武氏は分析する。
iNSPiCを使い始めるまでは、コンビニのプリントサービスなどを利用していたという人も少なくない。手帳との相性がいいため、18年の年末には手帳とiNSPiCをセットで買っていく人が多かったそうだ。キヤノンでは文房具メーカーのマークス(東京・世田谷)とコラボレーションし、iNSPiC対応のシステム手帳用リフィルも用意している。
シールであることをどう価値にできるか
iNSPiCの最大の特徴は、印刷用紙がシールであることだ。シールにするという発想はどこから来たのだろうか。吉武氏に尋ねると「実は、印刷用紙はシールしかなかったんです」という意外な答え。
そもそもiNSPiCの印刷用紙はキヤノンの製品ではない。米ZINK Imagingの印刷用紙を採用しているのだ。この印刷用紙はシールになっているため、「シールであることをどう価値にできるかを考えた」と吉武氏は言う。
コンスーマビジネスユニット コンスーマ商品企画本部 iNSPiC商品企画課 課長の濱田真司氏は「他社の技術だが、コンパクトさやインスタント性が素晴らしい。お客様のニーズを考え、自社の製品にこだわらずに採用した」と話す。
印刷用紙は1枚45円程度。これは他社のインスタントカメラの印刷用紙と比べても安いほうだ。アプリで写真を加工し、1枚の用紙に複数の写真をプリントすれば、切って使うことも可能。自分でコストを考えながら印刷できるところも魅力となっているのだろう。
プロモーションに女性社員の感性を生かす
キヤノンのホームページとしては、iNSPiCの専用サイトは異色である。製品や性能をあまりプロモーションしていないのだ。オンラインショップに商品情報はあるものの、大きく取り上げられているのは活用事例などだ。
「一般的なプリンターは画素数や印刷速度などをアピールするが、そういうことはほとんどしていない。iNSPiCのユーザーは性能よりも『これを使って何ができるか』『どういう価値があるか』という部分が知りたいはず」と濱田氏は話す。
またSNSでも使い方の提案に力を入れていると吉武氏は補足する。「『#inspic使ってみた』というハッシュタグを作って、ユーザーの投稿を集めている。検索されたときにクオリティーの高いものがヒットするようにキヤノン自身も発信している」
こういった女性に刺さるプロモーションの裏には「ichikaraプロジェクト」と呼ばれる女性社員によるチームの存在があった。
「(チームは)入社1~2年目の社員も含めた、部門や組織を横断した20人の女性社員で構成されている。自分がターゲットとなったときに、どういうものが刺さるか、購買行動はどうか、展示台はどういうものがいいか、SNSにはどうアップするかなど、商品に近い立場としてディスカッションをしてプランを組んだ」(吉武氏)
女性の視点で考えたからこそ、スペック重視ではないプロモーションがはまったのだろう。
ニーズに寄り添い、親しみやすいブランドに
iNSPiCのブランド戦略について吉武氏は「iNSPiCのような商品は、若い世代にとって“初めて手にするプリンター”になり得る。彼らが後にプリンターを買うときには、キヤノンが親しみのあるブランドになっているはず」と語った。
おもちゃのような感覚でiNSPiCを使ってもらい、若い世代に「プリントするっていいな」と思ってもらう。それがブランドイメージにつながるというわけだ。
一方で濱田氏は、カメラ・プリンター市場が縮小傾向にあることに対し「市場のニーズがなくなってきていると考えがちだが、実はそうではない」と話す。「今のお客様に合った提案ができていれば需要はあるし、写真をもっと楽しんでもらうことができる」
iNSPiCでは、他社製の印刷用紙を採用し、若い女性の意見を取り入れた新たな手法でプロモーションを展開した。そうした柔軟な施策を採ったことが功を奏したと言えそうだ。
(写真提供/キヤノンマーケティングジャパン)