2013/3/12

ダイレクトメッセージ

知人に相談すると「野球教室と炊き出しをしてみないか」と誘われました。その年の6月に初めて宮城県石巻市を訪れました。同市の死者・行方不明者は3000人を大きく超えたと聞きます。街はほぼ壊滅状態でした。目の前の光景に、声を出すこともできませんでした。

グラウンドには救助作業を終えたトラックのタイヤの跡がくっきり。自衛隊の給水車両がとまっている中で、野球教室は始まりました。

子ども時代の遊びに自分の原点がある。だから子どもたちの“今”を大切にしてあげたい

集まってくれたのは100人以上。普段なら、「さぁ、大きな声を出そう」と掛け声が飛びますが、そんな元気なんてあろうはずがありません。キャッチボールやノック、打撃練習のアドバイス程度ではだめだろう。

どうしたらいいのかわからないままでしたが、私はみんなと触れ合うことが何よりだろうと思い立ちました。100人を50人ずつに分けて、ゲームをやるのです。もちろん、ピッチャーは私がつとめました。

アウトカウントは関係なしで、攻撃側の50人がヒットを打つかアウトになって一巡すれば攻守交代です。

最初は子どもたちも保護者の方も伏し目がちでしたが、徐々に点が入るようになると、「打て!」「走れ!」「頑張れ!」という声が飛ぶようになりました。こちらの気持ちも弾んできます。2時間で400球近く投げましたが、痛めていたはずの肩に全く違和感はありませんでした。

練習後の炊き出しではカツカレーを手渡しで一人ひとりに配りました。おいしそうに食べているその姿を見ているだけで、「ここに来られて良かった」と思えました。

こんな大変な環境でも野球をしてくれる子どもたち。「あきらめないで」「夢を持って」「前に進む勇気を大事に」という応援の意味を込めて野球教室を開かせてもらったのですが、子どもたちの笑顔に、逆に私の方が元気をもらったようでした。

もし、一生のうちに人生観が変わる日というものがあるのなら、この時がまさにそうでした。40年近く野球を続けてきた私は、ずっと誰かに応援してもらってばかりでした。その恩を返すときが来たと悟ったのです。

震災の前の年の10年オフに、私は西武から戦力外通告を受けました。“浪人”中だった11年は現役を続けるためのトレーニングに専念することもできたのですが、被災地に通って野球教室を続ける道を選びました。

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