とがって当たった日本人デザイナー NYファッション前線(後編)

ファッション界の“アジア旋風”に日本勢は乗り遅れている。業界人に名前が挙げられるのはいまだに「カワクボ(コム・デ・ギャルソンの川久保玲)、ヨージ(ヨウジヤマモトの山本耀司)、ケンゾー(高田賢三)、イッセー(三宅一生)」…。この停滞感を破り、熱烈なファンを獲得した日本人デザイナーがニューヨークにいる。

世界からデザイナーの卵が集うニューヨーク。ここでデザインを勉強し、服作りを目指す日本人は少なくない。なのに一線に出てくるのはアレキサンダー・ワンやジェイソン・ウーら中国、韓国系が中心で、日本人は押されがち。なぜなのだろう。

3人の日本人が武者修行

武者修行でニューヨークに乗り込んだ渡部なつきさんは自分のショーが終了し、ほっと一息。「ニューヨークはおしゃれな人が多いですね」

ニューヨーク市で2月7~14日まで開催された「メルセデツ・ベンツ・ファッション・ウイーク」期間中、日本のファッション専門学校バンタンデザイン研究所が、より抜きの在校生徒3人を連れて“参戦”、ファッションショーを開催した。

水彩画のようなプリントシャツとニットの組み合わせを見せた渡部なつきさん(21)はバックステージで緊張した面持ち。「デザイナーとしてニューヨークは試してみたいところ。でもなかなか前に出ていくことができなくて。自信がない」とはにかむ。

一方、カラフルなストリートファッションを提案した津野地圭氏(23)は、「ニューヨークは現実的でビジネスがすぐそばにある感覚が気持ちいい。自分も日本でラベルを立ち上げて、乗り込んでみたい」と意欲を示す。

「米国で個人デザイナーとしてビジネスを成功させたかったら、いい“レップ”を見つけることだ」と、ロサンゼルスを本拠とする人気ブランド「TADASHI SHOJI」のデザイナー庄司正氏は指摘する。

アカデミー賞出席者にドレスを提供するなどハリウッドに顧客を持ち、北京、上海に店舗を出すほど成功した庄司氏だが、出発点はニューヨークだった。

デザイナーの出世左右する仕掛け人

「僕の成功はいいレップがついたから。初コレクション直後にレップが高級衣料専門店バーグドルフ・グッドマンにドレスを売り込み、そこで売れ筋となったドレスが今度は百貨店サックスに入り一挙に浸透した」という。

アレキサンダー・ワンらを発掘したステラ・石井さん(中央)。商品を見に来たセレクトショップのバイヤーに、デザイナーにかわって商品説明をする。モデルに商品を着せ、コーディネートも行う

レップ=セールス・レプレゼンタティブとは、日本でいえば小売店への取り次ぎも行うショールームとメディア向けのパブリシティの機能を持つ、デザイナーと販路の仲介的な役割だ。有力レップはデザイナーの持ち味をバイヤーにマッチメーキングすることができる。そのレップの心を揺さぶる日本人がいないらしい。

「あまりニューヨークで活動する若手日本人デザイナーの情報を聞かない」――。ニューヨークで新人デザイナーの発掘とショールームをビジネス展開する「The News」のステラ・石井さんは首をかしげる。無名時代のアレキサンダー・ワン、フィリップ・リムを育てた“レップ”だ。

石井さんのような目利きからみると、日本人はどうも押しが弱い。「有力ブランドに勤める腕のいいパタンナー(デザイン画を元に実際の商品を作るのに必要な型紙を作る職務)の名前にあがるのは日本人。謙譲の美徳、というのかトップを押しのけられない国民性かしら」

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