故郷・種子島で新発想の介護事業 放送作家から転身

サーファーを介護スタッフに

彼が最初にやったのは、両親の家の近くに自分の家を建てたことだった。地元の人は、父母の家を「気まぐれに訪れるだけの『よそ者』」を信用しない気風があったようだ。「親を助ける、困った人に手を貸す事業を始める」と言っても、「口だけなら誰でも言える」と受け止められかねない。「地元に根をおろし、本気でやる」という意思を示すには、親とは別の自分の家を建てるのが一番だと判断した。

その後、自宅の近くにデイサービスを供給できるNPO法人施設をつくり、事業をスタートさせた。折しも介護保険制度がスタートした時期と重なり、「介護ビジネス」にとっては追い風となった。

介護ニーズはあったが、課題だったのは、サービスを提供するうえで欠かせない、介護資格を持った人材の確保だった。介護サービスを実際に行うスタッフには所定のへルパー資格が必要だ。

しかし、島内に有資格者は少なかった。彼は介護資格者を集める仕組みを考えた。「サーファーヘルパー」もその一つだ。

種子島ではサーフィンが盛んだ。「良い波に乗って、心ゆくまでサーフィンを楽しみたい」。でも、「仕事もしなきゃ食べていけない」。そんな思いを抱く若者に向け、「種子島でサーフィンを楽しみながらケア(介護)☆スタ(スタッフ)しよう!」というキャッチフレーズを町ぐるみで呼びかけていたが、彼はいち早くこの趣旨で人材募集をかけていた。そのときに応募したスタッフが今も活躍しているそうだ。

もちろん、それだけで必要な介護職は集まらない。彼はヘルパー2級資格者を養成する研修機関をつくり、人材確保の基礎を築いた。そんな努力が評価されたからか、町の財政が逼迫(ひっぱく)したからかは分からないが、事業を開始して10年ほどしたところで、町役場から思いもよらぬ声がかかった。

役場「町営の福祉施設を民営化したい。経営を引き継いでほしい」

「えーっ、あんなに広大な土地に建った立派な施設を、うちみたいな新参者に任せる?」

経営状態を調べてみたら、役場は町営の福祉施設に役場職員(公務員)を10人も配置していた。その給料がとんでもなく高い。採算を取るのは、極めて困難な状況だと知った。

「こりゃあ、大変だ」

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