ブームに乗り損ねた苦い経験も

先入観で他社に出し抜かれたこともあります。一大ブームとなった音楽に合わせて踊るダンスゲームは、ナムコにも原案がありました。ただ「恥ずかしくて誰も人前で踊らない」「ゲーム機が大きすぎる」など、あらゆる理由をつけて開発されませんでした。

野球が趣味なのでバッターに例えますが、三振を恐れて打席に立たなければ、何も起こりません。仕事の失敗ならどんどんすべきです。元気良く暴走するぐらいが、はるかに成長スピードが速いです。

必殺技だった「社長への直談判」

最初に使ったのは20代半ばです。日清食品の消費者プレゼントに私の提案した体重計が採用されます。ところが、納期が短く何万台もの製造を委託する会社が見つかりません。

困り果てて、中村雅哉社長(当時)の部屋に飛び込みました。役員と打ち合わせ中だったのですが、それを中断して話を聞いてくれて、その場で某メーカーに電話して話をまとめてくれました。

味をしめた私はここぞという時は社長と一緒にエレベーターに乗り込み、社長室がある5階までに企画などの了承を取り付けるようになります。邪道ですが、熱意が伝わる手段の1つです。実は同じような社員はほかに2~3人いました。エレベーターで鉢合わせすると、「またかぶったね」と苦笑いしたものです。

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石川祝男
いしかわ・しゅくお 1978年関西大文卒、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。2006年バンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)社長に就任。09年バンダイナムコホールディングス社長、15年会長、18年6月顧問、19年6月退任。山口県出身。

[日経産業新聞 2018年10月18日付]

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