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梶原しげるの「しゃべりテク」

銀行辞め乗馬クラブ起業 心通う相棒と耐久競技の道へ

2019/10/10

馬とのふれあいは癒やしの効果も期待されている。写真はイメージ=PIXTA

山梨県北杜市で人気の乗馬クラブ「SUNNY FIELD」の代表を務める福田晋さんは上智大学を卒業後、有名な銀行の一つに就職した。1987年のことだった。日本でバブル経済が盛り上がり始めたちょうどその時期、金融マンとしてデビューしたことになる。

クライアントには土地持ちの資産家が多く、仕事量は少なくなかった。多忙だったからこそ、彼が大学時代に夢中になったアメリカンフットボールを社会人になってもやり続けることが心の支えでもあったようだ。

ところが、社会人リーグ一部昇格の中心として活躍した福田さんはリーグ戦の試合中、右足首を複雑骨折。89年シーズンをもって引退を決断せざるを得なかった。

そこから2年でバブル崩壊が訪れた。福田さんに限らず、働く人の多くが、組織変革の波にのまれたり、不本意な働き方を強いられたりと、多くの職場が働く環境の劣化に苦しんだ。

■バブル崩壊で募った不安・不満

仕事とアメフトの両立は、体力的には厳しかったはずだが、福田さんのメンタルバランスを維持するには悪くなかった。そのアメフトもできなくなったうえ、バブル崩壊のあおりで、経済は大混乱。とりわけ金融機関のダメージは大きかった。

心身共にタフな福田さんも、上司とのトラブルを抱え、ついには実家に逃れ、ふて寝を決め込んだことさえあったらしい。その後も全体としては不況から抜け出せず、2000年代初頭までの10年間は「失われた10年」と呼ばれた。

福田さんが働いていた銀行の名前は目まぐるしく変わり、他行を含め、銀行の立場は厳しくなっていた。職務をこなしながらも、福田さんの心の中で不安や不満はますます大きくなっていったようだ。

福田「今の自分にとって、本当に楽しいことって、一体、何だろう」

そんな時、かつて担当地域としてしばしば訪れていた東京都世田谷区にある馬事公苑近辺で偶然目にした光景が頭にフーッと浮かんできた。「偶然の出会い」が福田さんのその後の人生に、大きな果実をもたらしたのかもしれない。

福田「馬にまたがる騎手を街なかで見たのは、全くの偶然でした。ビシッと騎手の制服を身にまとい、姿勢正しく馬に乗って通り過ぎた騎手のりりしい姿が脳裏に焼き付いたんだと思います」

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