韓国の「伝道師」が語る50年 いつも文化の絆あった

韓国日報の日本駐在員として、日本に「逆駐在」

梶原「テキストを買うのは、韓国語を必要とする商社マン系?」

佐野「ところがどっこい、購買者の中心は10代の中高生だった」

梶原「え!?」

佐野「その頃、BCL(国際放送を受信して楽しむ趣味)が若い世代でブームだった。『聴きました』と放送局にはがきを送ると、局からカードが送られてくる、それだけなんだけど。BCLファンの間には、途切れ途切れに聞こえる韓国語講座に興味を抱き、熱心に聞いて学び始める中高生が結構いたんだ」

梶原「ほお」

佐野「少々オタクっぽい少年に、韓国語学習情報や韓国最新歌謡情報を教えるのが、私の役割になっちゃって」

「当時の教え子」たちが今では50代半ば前後になったという。韓国で起業して社長となり、陣頭指揮に当たるバリバリのビジネスパーソン。韓国人の奥さん、子供と、幸せな家庭を築いた人もいるという。今でも「韓国文化の師匠・佐野さん」を慕って訪ねる人も少なくないらしい。

一方で、当時の「オタクな若者たち」の向学心に刺激を受けた佐野さんは、その後、韓国に渡り、ソウル大学の語学センターで2年間みっちりと韓国語を学ぶこととなった。

その際、紹介され下宿した家の奥様が何と「韓国宮廷料理の人間国宝」だった。「こんなにうまいものを毎日食べて、ばちが当たらないか」。そんな心配とともに韓国食文化への興味は日々、募るばかりだった。

韓国歌謡に加え、韓国料理という専門性を手にした佐野さん。それらを日本人目線で書いたエッセイを地元有力紙「韓国日報」に寄稿するうち、書き手としての腕が見込まれ、記者として正式採用されることとなった。その後、韓国日報の日本駐在員として日本を「取材」し、本社に記事を送る日々を過ごした。

佐野さんと知り合ったきっかけは、私が勤務していた文化放送(もちろん日本の)が1982年4月、開局30周年記念音楽イベントとして渋谷公会堂から生放送した「アジアミュージックフォーラム」だった。企画したのは局の同期で報道部員の今村和夫氏。佐野さんは彼の友人で、制作アドバイザーとして加わっていた。ちなみに私は、作家の神津カンナさんと司会を担当した。

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