2019年9月11日(日本時間)、米アップルが新型iPhoneやiPad、新しいサブスクリプションサービスを発表した。1時間40分ほどかけて盛りだくさんの内容を詰め込んだ発表会で、実は約20分ほどかけてたっぷり説明したのが新型のApple Watchについてだ。その裏には、この製品にかける同社の並々ならぬ思いが透けて見える。

米アップルは米国で発表会を開催。その中で新型スマートウォッチの説明に約20分もの時間を割いた(提供/米Apple)
米アップルは米国で発表会を開催。その中で新型スマートウォッチの説明に約20分もの時間を割いた(提供/米Apple)

 「Apple Watchは何百万、何千万人の腕の上で健康やフィットネス、コミュニケーションに革新をもたらしている。今や、世界中のあらゆるところで幾多の新しい変化が起こっている」。2019年9月11日(日本時間)、米アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は、自社のスマートウオッチをこう自画自賛した。ここ数年、スマートフォンと同時にスマートウオッチの新型を発表する同社。今年も「Apple Watch Series 5」を9月20日に市場へ投入することを明らかにした。

 2015年3月に時計ビジネスへの参入を発表してから4年半。5世代目となる今回の新製品は、外観だけ見れば4世代目と大差ないように映る。ただ新しいモノ好きな「アーリーアダプター」ではなく、「アーリーマジョリティー」「レイトマジョリティー」といった一般消費者が手を伸ばしたくなる完成度に、ようやく仕上げられた点は見逃せない。

 「新しい“Always-On Retina Display”機能によって、Apple Watchはもうスリープしない。盤面は常に表示されるので、いつでも時間を見られる」。同社担当者は発表会の場で、Apple Watch Series 5に搭載した最新機能をこうアピールした。

「Apple Watch Series 5」を9月20日に市場へ投入する。常時画面点灯が初めて可能になり、18時間のバッテリー駆動が可能。価格は4万2800円(税別)から。なお旧型の「Apple Watch Series 3(GPSモデル)」を1万9800円(税別)に値下げして併売することも同時発表した(提供/米Apple)
「Apple Watch Series 5」を9月20日に市場へ投入する。常時画面点灯が初めて可能になり、18時間のバッテリー駆動が可能。価格は4万2800円(税別)から。なお旧型の「Apple Watch Series 3(GPSモデル)」を1万9800円(税別)に値下げして併売することも同時発表した(提供/米Apple)

 熱烈なアップル製品ファンなら拍手喝采するところだが、ITガジェットに詳しくない一般消費者は首をかしげたくなる発言だろう。実はApple Watchは、これまで指でタップするか腕を上げたことを検知した時に数秒だけ盤面を表示する仕様だった。バッテリー消費を抑えるためで、通常は画面は消えて何も見えず、利用者は時刻を知るためにワンクッション手順が必要だった。1000円台で買える通称「チープカシオ」のような激安時計ですら「いつでも時刻が分かる」というのにである。

4年半かけてたどり着いた「スタートライン」

 要は時計として当たり前にできるべきことを4年半かけてようやく実現できたというのが正直なところだ。時計を再発明したと万人に理解してもらうための悲願を達成し、マジョリティーな人々を取り込む競争のスタートラインにようやく立てたと言えよう。

 同社の説明によれば、低温多結晶酸化物(LTPO)と呼ぶ最新ディスプレー技術や超低消費電力のドライバーソフト、省電力対応の回路などを駆使して“常時点灯”を実現。約18時間の連続使用が可能になったという。世界トップクラスの年間約150億ドルもの研究開発費を投じるアップルの力をもってしても、わずか約4cm四方のパッケージ内で、利便性を高める性能と実用性を高める省電力を両立させるには相当苦労した様子がうかがえる。

 実現したことは時計としてできて当然の機能を実装しただけだが、アップルが消費者と常時対話し続けられる“窓”を腕の上に確保できるようになった意義は大きい。

 というのも、進化を繰り返して誰もがポケットに入れて持ち運ぶほど広く普及したスマートフォンであっても、バックグラウンド機能は別として、ロックを解除した間に役立つ発想で大半のアプリや機能が設計されている。現行のApple Watch向けアプリも、アプリストアをのぞくと、常に利用者が見つめる前提ではないので、スマホアプリの簡易版のようなものばかりが並ぶ。いろいろ試したものの、実際には役立つアプリはごくわずかというApple Watchユーザーは少なくない。

 しかし今後は、消費者との間で双方向にインプットまたはアウトプットを24時間365日試みるアプリを開発しやすくなる。企業や個人プログラマーがこぞってアイデアを競い合うようになれば、スマートウオッチだからこその独創的かつ斬新なアプリ生態系(エコシステム)が遅ればせながら活気づく可能性がある。スマホともタブレットともパソコンとも違う新しい世界が、いよいよここから始まる。

 アップル自身は、購入者が常に腕にはめっぱなしにしたくなる動機づけのため、窓を通じて緊急時や健康維持に役立つ点をまず打ち出す。既に心拍数を監視して異常時に通知する機能を搭載。また、周囲が聴覚に影響を与えるほどのひどい騒音レベルに達したら教えてくれる機能や、女性への支援策として月経周期を簡単に記録するアプリも提供する。

 加えて今回の発表会では、こうしたApple Watchが持つセンサーを使って集めた生体データを、大学などの研究機関で役立ててもらう新しい3つのプログラムを追加することも大々的にアピールした。自分自身の健康管理とともに、専用アプリを介して参加型で医療の品質向上に一役買ってもらおうというわけだ。

健康関連のデータ活用で外部の大学などの研究機関と提携する新プログラムを同時発表した(提供/米Apple)
健康関連のデータ活用で外部の大学などの研究機関と提携する新プログラムを同時発表した(提供/米Apple)

四半期で1040万台売り、現在シェア1位

 では、Apple Watch Series 5の投入によって、アップルの市場でのポジションはどう変わるのだろうか。

 日本時計協会の推計によると、18年時点の腕時計世界生産台数は13億9500万台。前年比マイナス3.7%だった。このうち機械式が4500万台、デジタルクオーツ式が3億1000万台、アナログクオーツ式は10億4000万台だ。

 一方ウエアラブルデバイスに目を向けると、Apple Watchのような腕時計型の出荷台数は18年で7239万台。今後年率13.7%で成長し、2022年には1億2110万台に達すると米調査会社IDCは予測する。既存の腕時計市場が成熟して現状と変わらないとの前提に立てば、3年後には世界中の人々が腕にはめる時計の11台に1台が腕時計型のスマートウオッチになる計算だ。

 またアップルが18年第4四半期に出荷したApple Watchは1040万台であり、関連商品を含めたウエアラブルデバイス全体でみると同期間のシェア1位(27.4%)だったという。IDCは予測発表時に、次のような見解も明らかにしている。「画面を大型化した第4世代のApple Watch Series 4が強力なけん引役となり、今後医療機関や一般消費者の購入が増え続ける」。2位の中国シャオミ(小米)や3位ファーウェイ(華為科技)、4位の米フィットビットを大きく引き離しており、アドバンテージは完成度を高めた第5世代の投入により維持できるとみていい。

スポーツをしている最中にも常時画面が点灯できるので、フィットネス関連でも新しいアプリが続々登場しそうだ(提供/米Apple)
スポーツをしている最中にも常時画面が点灯できるので、フィットネス関連でも新しいアプリが続々登場しそうだ(提供/米Apple)

 今後少なくて年間4000万台、多く見積もれば8000万台ものApple Watchが消費者の腕に巻かれることになる。この数字の意味は、スイス時計協会FHが公表している高級時計の市場統計と照らし合わせると興味深い。

 2016年の数字だが、「ロレックス」や「オメガ」などのスイスが輸出した高級時計は年間で2540万台(前年比マイナス9.8%)。クックCEOは2017年時点で、年間売り上げでApple Watchはロレックスを越えたと発言しており、今後様々なブランドのラグジュアリーウオッチを足し合わせた以上に存在感を強めてもおかしくない。

ケース素材としてアルミニウム、ステンレススチール、セラミックに加えて、今回からチタニウムを追加するなど、より幅広い消費者の嗜好に合わせる工夫を凝らす(提供/米Apple)
ケース素材としてアルミニウム、ステンレススチール、セラミックに加えて、今回からチタニウムを追加するなど、より幅広い消費者の嗜好に合わせる工夫を凝らす(提供/米Apple)

 「ここ数年時計はしなかったが、Apple Watchを買ってから毎日腕に付けるようになった。移動中にカバンにしまっているスマホをいちいち取り出さずに着信確認できるので助かる。ポケットの少ない服を着る女性ほど、一度Apple Watchをはめたら手放せなくなるのでは。なにより交換式のバンドの種類が豊富で、日々のファッションに合わせやすいのも大好きなところ」(都内在住30代女性の会社員)。常時点灯しない時計にもかかわらず、ファッションアイテムとして“刺さる”デザインが、アーリーアダプターの心を動かした点も重要だ。

 登場当時、シンプル過ぎるApple Watchのデザインに対して、機能も外観も「ドッグイヤー」で高速に新陳代謝を繰り返すITガジェットの世界ではすぐに陳腐化して埋もれると危惧する声が一部で上がった。しかし4年半たった今はどうか。ほぼ同じデザインのまま第5世代まで来たにもかかわらず、老若男女問わず批判の声はあまり聞こえてこない。

ファストファッション停滞が追い風か

 折しもファッション業界は、ファストファッションの代表格だったフォーエバー21が米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用申請を検討すると報道されるなど、消費者の嗜好の変化に揺れている。一方で、ロレックスの時計「エクスプローラーI」やエルメスのバッグ「ケリー」といった、何十年も同じデザインのまま愛され続けるハイブランドの定番商品が、もてはやされる風潮がしばらく続いている。

「Apple Watch Hermès」も一新。ブラックモデルなどを追加し、ラグジュアリーウオッチファン層の獲得にも布石を打つ(提供/米Apple)
「Apple Watch Hermès」も一新。ブラックモデルなどを追加し、ラグジュアリーウオッチファン層の獲得にも布石を打つ(提供/米Apple)

 歴史を振り返れば、アップルは2008年にリリースしたノートパソコン「MacBook Air」を約10年間ほぼデザイン変更しなかったにも関わらずヒットさせ続けた実績がある。ファッションのトレンドも見越して「10年続く飽きられないデザイン」を突き詰めてApple Watchに採用したとすれば、先見の明があったと言わざるを得ない。ファストファッションが停滞した今、普遍的なデザインの商品をめでたいと考える傾向が、Apple Watch普及の追い風になりそうだ。

 言うまでもなく、ハードウエアとソフトウエアとサービスの3点セットで消費者を囲い込むのが、アップルの戦略の基本手。しかも、Apple WatchはiPhoneとペアで使うことが条件であり、腕にApple Watchを24時間365日はめてもらえば、その延長線上で自動的にソフトやサービスによる収益拡大が見込める。今回、ゲームのサブスクリプションサービス「Apple Arcade」や映像配信サービス「Apple TV+」を同時発表しているが、消費者をそこいざなうこともたやすくなる。

 新型iPhoneを5Gに対応させるなどして先進性をアピールするより、地味ながら「完全なる生態系」の完成に全力を注ぐことを優先したことこそ今回の発表会で同社が世界に発信したかった本質だ。つまり、生態系の中から逃がさない全ての起点がApple Watchにあるわけで、だからこそ20分間もかけて丁寧に腕時計を説明したと考えると合点がいく。米中貿易摩擦による対中追加関税の影響など向かい風も吹くが、堅実に未来へ手を打ったことだけは間違いない。

NIKKEI STYLE

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