学びは裏切らない 成功してなお「未知」求める境地
働きながらの学びは目的をはっきり設定しやすい。写真はイメージ=PIXTA
私の通う英語学校のクラスメートは「留学」「昇進」「外資への転職」を目指す若い世代が中心だ。60代後半の私は異色というか、相当な変わり者だと思われているはずだ。
彼らは授業開始の夜8時前に慌ただしく教室に走り込むと、互いに言葉を交わす暇もなく、夜中まで続く「熱血講義」に集中。終了と同時に、終電を逃さぬよう、速攻でその場を立ち去る。
そんな状況にすっかり慣れたころ、クラスに新しいメンバーが加わった。私と同世代のSさんだ。
帰り際、声をかけたのがきっかけで、お付き合いが始まった。実はSさんは、とんでもない「学びの大家」だった。
仕事を超えた英語表現力を求めて
Sさんは、主として外資系を顧客とする、会計事務所を経営する公認会計士だ。当然ながら仕事の多くは英語のやり取りだと推察する。「なぜ今さら英語学校?に」と、尋ねる私にSさんが答えた。
Sさん「仕事では問題ありませんが、合間に交わす雑談では、改良の余地ありと感じました。そこもクリアしたいと」
Sさんの「学び癖」は中学時代にさかのぼる。海外旅行など夢のまた夢だった時代に、外国への興味を募らせた若者に人気だったのが「外国人と手紙のやり取りをする文通」。当時、書店には「ペンパル(文通友達)専門誌」が並んでいた。
S少年が英文の手紙を送ると、世界中から反応があった。ところが思わぬことでショックを受けたという。
「きれいに整った英文字だ。自分もきちんとした英文字を書かなければ」。そう感じたSさんはペンパルへの手紙を何度も清書したが、思ったような字が書けない。