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古代「史記」 偉人の出世学

出世の裏に人あり 元銀行マンがひもとく史記の人間学 司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん

2019/8/11

私の限られたサラリーマン経験を振り返ると、「世の中のため」とか「会社全体のため」を考えて重要なポストが決められたという例は、あまり思い当たらないのが正直なところです。上に立つ人間にとって役立つか、あるいは、その人にどれだけ尽くしてきたか、という理由で引っ張られるケースが多かったと思います。

ですから人事の情報に通じていることが権力につながっていました。だれが偉くなりそうか、偉い人はだれと親しく、だれと仲が悪いのか、彼の好きなもの、きらいなものは何か……。今も多くの組織にある傾向かもしれません。

自分が思ってみなかったような意外なことが出世の理由になることがありませんか。私は会社の役員になることもなく、間違いだらけのサラリーマンだったと本心から思うのですが、出世とはいえないまでも、身をたすけられたと思うことはあります。書に取り組んでいたことが、あるときトップらの耳に入り、色紙への揮毫(きごう)などの指南を求められるようになりました。そのことで周囲が驚き、私を見る目が少し変わったように感じました。

次の話は、まさに「どこで、だれが、何を見ているかわからない」という好例です。

妻のひと言と上司の観察力
管仲の後、斉には名宰相、晏子(あんし)が現れました。晏子が外出した時のことです。彼の馬車を操る御者の自宅前を通り過ぎた時、御者の妻が門の隙間からその様子を見ていました。夫は四頭の馬に鞭(むち)をふるって、得意げでした。
夫が帰宅すると妻は離婚を迫ります。「宰相である晏子は小柄な方ですが、思慮深げで謙譲の様子でした。あなたは大男ですが宰相の御者として得意げでした。それであなたのもとを去らせていただきたいと言ったのです」
それを聞いた御者は以後、謙虚な態度をとるようになりました。晏子がいぶかしく思い、そのわけを尋ねると、御者はありのままを答えました。晏子は大いに感じ入り、御者を大夫という上級官僚に推薦しました。

離婚を迫った妻は少々乱暴だとは思いますが、その賢明な意見に耳を傾け、すぐに態度を改めた御者の心がけは、当時の国政にプラスになるはずだと晏子は考えたのでしょう。

司馬遷は各巻の末尾に「太史公(=司馬遷)曰(いわ)く」と前置きして注釈を付しています。悪人でもどこかに救いを入れる一方で、有能な人や善人と言われる人にはむしろ厳しい指摘を加えていることが多く、総じてあまり人をほめません。事実だけを記録しようとした結果かもしれません。

管仲や晏子のエピソードを記した「管晏列伝」では、管仲の評価は必ずしも高くありません。孔子の言を引いて管仲が小人物であったとみたようです。桓公に王者の道を行わせず、ただ覇者の名を成さしめたにすぎぬというのです。徳による王道は、力による覇道にまさる君主のあり方でした。晏子については例外的に、自分も御者になって鞭をふるいたいと、司馬遷は敬慕の念を寄せています。

鮑叔のことは特にコメントしておらず、世間の評価に任せたようです。ライバルとみてもいい管仲を、進んで自分より出世させた鮑叔は、出世を「重荷」と感じられる人だったように思えてなりません。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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