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「管鮑」(書・吉岡和夫)

「管鮑」(書・吉岡和夫)

中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(80)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。

会社など組織にいてまったく出世を望まない人はいないでしょう。しかし当人の能力や人格だけで昇進・昇格が決まるとは限りません。別の人が出世するのをみて「オレの方が有能なのに」「頑張ったのは私の方」と思いたくなるのが人情です。まして、自分にチャンスがあるのに「自分よりあの人を抜てきしてほしい」と推薦することは、なかなかできることではありません。

史記には、その珍しいケースが登場します。互いを深く理解しあった友情のエピソード、「管鮑(かんぽう)の交わり」です。現代の人事において、あるいは若い人が自分の生き方を考える上で参考になると思います。

理想の人事を生んだ「管鮑の交わり」
 中国の春秋時代、現在の山東省に斉(せい)という名の国がありました。紀元前7世紀に斉を治めた桓公(かんこう)は、名臣の管仲(かんちゅう)を登用し、富国強兵に努め、諸国から「覇者」と呼ばれたことで知られています。
 父が乱に遭って殺された桓公は、兄と君主の座を争い、勝利します。このとき桓公を支えた人物に鮑叔(ほうしゅく)がいます。鮑叔は、敵方として捕らわれていた幼なじみの管仲を、桓公に推挙します。「斉を治めるだけでなく、天下に覇を唱えることを望まれるのなら、管仲が必要になります」と。桓公は進言を聞き入れ、鮑叔は管仲より下位に身を置きます。
イラスト・青柳ちか

イラスト・青柳ちか


  倉廩(そうりん)実(み)ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。
 史記にある管仲の言葉です。経済的な不安、生活の憂いがなければ、自然に礼節を重んじ、栄誉と恥とを知るようになる、の意味です。世の中の安定には経済が大切であることを、管仲はよくわかっていました。彼は斉を繁栄させる立役者のひとりとなります。
 管仲は後に述懐します。「自分が貧しかったころ、鮑叔と共に商いをしたことがありました。利益を分ける時、私は多くを貪りましたが、鮑叔は私を貪欲だとは言わなかった。私が貧しいことをよく知っていたためです」「私は三度戦いに出ていつも敗れて逃げ出しました。それでも鮑叔は私を卑怯とは言わなかった。私には老母がいて、戦死するわけにはいかないことを知っていたためです」。こうした例をほかにも挙げ、最後にこう言います。
  われを生める者は父母なるも、われを知れる者は鮑子なり。
 自分を産んでくれたのは父母ですが、私を本当にわかってくれた恩人は鮑叔君です――。司馬遷の筆に管仲の実感がこもります。

天下の人はみな、管仲の能力の高さよりも鮑叔の人を見る目の確かさを称えたと、司馬遷は書いています。鮑叔の言葉に従い、自分を苦しめた人物を登用した桓公、そして、実績を残しても感謝の心を忘れない管仲、いずれも大人物だったと私は感じます。

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