「子午線のまち」といえばなぜ明石市なのか

兵庫県明石市は「子午線のまち」と呼ばれる。子午線とは十二支を基にした方位で真北(子=ね)と真南(午=うま)を結ぶ線だが、ここでは日本標準時(日本時間)の基準となる東経135度の経線を指す。しかし、東経135度が通る市はほかにもある。なぜ明石市が有名なのか。

まず子午線の真上に立つ明石市立天文科学館を訪ねた。塔時計には「J・S・T・M(ジャパン・スタンダード・タイム・メリディアン=日本標準時)」の文字。正午には真南に太陽が見えるという。

左が1928年、右が51年の経度観測に使用された子午儀(兵庫県明石市の市立天文科学館)

100年前の標識が第一歩

「1910年、日本標準時子午線が明石を通っていることを示す標識が立てられたのが、子午線のまちへの大きな第一歩でした」と学芸員の鈴木康史さんは話す。

1884年、国際子午線会議で英国グリニッジ天文台を通る子午線を世界の時刻の基準となる本初子午線とし、そこから15度離れるごとに1時間ずつ時差のある時刻を各国が採用することを決めた。

日本標準時の制定は86年。明石市最初の標識はその14年後、標準時子午線の重要性をいち早く認識した明石郡校長会が立てたものだ。この標識は場所は移ったが、今も明石市天文町の交番前にある。

その後、日本地図の原点である東京・麻布の旧東京天文台(現国立天文台)の経度が修正された。明石市教育会は標識をより正確な位置に立て替えることを計画、京都大学の野満隆治博士に依頼する。

経度の測定は旧東京天文台を原点に三角測量で決める「日本測地系」が一般的だったが、野満博士は星を観測して決める「天体測量」にすべきだと主張、1928年に明石中学(現明石高校)で約1カ月かけて天体測量が行われた。51年に再び天体測量があり、明石市の標識はそれに基づく。

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