ひらめきブックレビュー

癒やす力にアートの価値 自分に響く1枚こそ「名画」 『美術は魂に語りかける』

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ビジネスパーソンのあいだで「アートの力」が注目されつつある。美術を鑑賞することの意味を問い直す意識も広がっているようだ。そもそも、アートとは何だろう。本書『美術は魂に語りかける』(ダコスタ吉村花子訳)は、この疑問にこれまでとは全く違ったアプローチから答えを導き出す試みだ。英国で活動する2人の哲学者、アラン・ド・ボトンとジョン・アームストロングによる共著で、15カ国で翻訳されているベストセラーである。

■自分の抱えている欠乏に気づく

いわゆる「名作」を見ても感動できなかったという経験は、恐らく誰にもあるだろう。その理由について筆者は、専門家による作品の格付けや解説が鑑賞者のニーズに必ずしも一致していないからだと指摘する。

専門家は新しい表現や優れた社会風刺といった側面を軸にして評価を下す。一方の鑑賞する側は異なる軸、違う視点で作品を味わう。両者の溝を埋めるために、著者はアートの新しい価値を認めようと提案する。それは、私たちが抱える苦しみや欲望、空虚さといった心の欠乏に寄り添って傷を癒やす働きだ。

本書では、そうした観点でアートを捉え直すヒントが豊富なカラー図版を使って紹介されている。例えばリチャード・セラの『フェルナンド・ペソア』という黒い壁のような立体作品。並外れたスケールと堂々とした佇(たたず)まいで苦しみの気高さと普遍性を主張し「悲しみは人類に共通する尊い経験なのだ」と語りかける。息をのむ険しい岩や遠くの薄暗い空を漂う雲を描いたカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『海岸の岩礁』は、雄大な空間と時間を認識させて人間の悩みの小ささに気づかせてくれる。

「作品からどのような癒やしを得るのか」を考えることは、自分がどんな欠乏を抱えていたのかに気づくことにつながる。自己を理解する助けとなり、日常を支える優れたツールとなり得るのだ。

■最も大切なことを感覚的に理解する

著者は「人生で最も大切なことを感覚的に理解するときの助けとなること」にアートの意義を見いだす。私たちの心の弱さを補う道具として生活の中に浸透する、という重要な役割があるのだ。

歴史をひもとけば、かつて宗教や国家は社会や人格に決定的な影響を及ぼすアートの力を見抜いていた。そして、人々を導くプロパガンダとしてしばしば活用していた。例えばゴーギャンの『オリーブ山のキリスト』は、処刑前夜のイエスの恐ろしいまでの孤独を描き、見る者の人生の深い苦悩に手を差し伸べていた。アートは私たちの苦しみを鏡のように映し出して意義を与え、自分を見つめ直す道しるべとなって救いと希望をもたらすのである。

著者は、こうしたアート本来の力を現代社会にも生かすべきだと語る。知識や教養からアートを解き放ち、作品とじっくり対話する。そこで感じた心の震えを日常にどう生かしていくかは、私たち一人ひとりに委ねられているのだ。

今回の評者 = 丸洋子
 情報工場エディター。海外経験を生かし自宅で英語を教えながら、美術館で対話型鑑賞法のガイドを務める。ビジネスパーソンにひらめきを与える書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」エディティング・チームの一員。慶大卒。

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