日本で年間250万人以上が挑む英語能力テスト「TOEIC(トーイック)」。運営団体のIIBC(国際ビジネスコミュニケーション協会)が、TOEICを掲げないイングリッシュカフェを始めた。おしゃれなカフェで、ほろ酔い気分で英会話を楽しむ。“脱テスト”を目指した試みの舞台裏に迫った。

日本酒の飲み比べを楽しみながら、英語で会話する参加者。IIBCが「ホビングリッシュ」をテーマに開催した
日本酒の飲み比べを楽しみながら、英語で会話する参加者。IIBCが「ホビングリッシュ」をテーマに開催した

 2月末、平日の昼下がり。東京・明治神宮外苑を臨むカフェで、ほろ酔い顔の男女が盃を交わしていた。おちょこに日本酒を注ぎ、飲み比べを楽しむ。聞こえてきたのは、英語の慣用句だ。

 「What flavor do you like?(どんな味が好みですか)」「I like sweet one.(甘口が好きです)」。キレがあるは「sharp」、芳醇(ほうじゅん)は「mellow」、軽やかは「light」、香り豊かは「fragrant」。味や香りの違いを楽しみながら、英語でどう表現するかをネーティブの英語講師から学んでいた。

 テーマは「ホビングリッシュ」。趣味(Hobby)を通じて英語(English)を話すのがコンセプトで、TOEICを運営するIIBCが主催した。

 甘口の日本酒として「東洋美人」(山口県)の純米吟醸、辛口の日本酒として「南部美人」(岩手県)の特別純米酒、スパークリング日本酒として「獺祭(だっさい)発泡にごり」(山口県)の純米大吟醸、にごり日本酒として「七田 おりがらみ」(佐賀県)が振る舞われ、なおかつ、軽くつまめるフィンガーフードが各テーブルに並ぶ。受講料は1000円(税込み)と格安だった。

会場に持ち込まれた日本酒。盃を交わしながら、銘柄ごとに味の表現を学んだ
会場に持ち込まれた日本酒。盃を交わしながら、銘柄ごとに味の表現を学んだ

 日本酒講座以外にも、スマートフォンで撮影するときに使える気の利いた言い回しを学ぶ「スマホカメラ講座」、バーで注文することを想定した「カクテル講座」、この他、トラベル講座、おもてなし講座、ビジネス会食講座と、多彩なテーマで4日間にわたって開催した。イベント名は「IIBC ENGLISH CAFÉ」。TOEICというブランドがありながら、あえてその名前を“封印”した形だ。

英語テストからの脱却

 小中高生に強い実用英語技能検定(英検)に対し、TOEICはビジネスパーソンの認知度が極めて高い。日本では多くの企業が採用、出世の要件にTOEICを課し、そのスコアによって今後の人生が左右されることすらある。だからこそ、「TOEICというと英語のテストというイメージが強すぎる。より気楽に英語を楽しんでいただけるように、がらりと中身を衣替えした」と振り返るのは、IIBCの大村哲明常務理事だ。

 期間限定の英語カフェを始めたのは、3年前の2016年2月。当時は「TOEIC ENGLISH CAFÉ」という名前だった。場所は六本木ヒルズのカフェ。ビジネスパーソンの英語発信力向上を目的として計7日間開き、FMラジオ局J-WAVEのナビゲーターが日替わりで登場。参加者と英語でコミュニケーションを深めた。

 17年8月には大阪でもFM802、FM COCOLOのDJを交えて開催。18年1月にはKDDIと連携し、第1回と同じ六本木ヒルズのカフェで「VR(仮想現実)英会話」を展開した。VRゴーグルを装着すれば、オーストラリアのシドニーにいるネーティブとつながり、リアルタイムで英会話が楽しめる。視線を左右に振ると、オペラハウスやハーバーブリッジが見えるなど、日本にいながらシドニー観光を体験できる仕掛けまで用意した。

 しかし、全体を通してみれば、「TOEIC ENGLISH CAFÉは、英語のお勉強、TOEICのプロモーションイベントという色彩が濃かった。我々はテストだけやっているのではない。アンケートでもTOEICは知っているが、IIBCって何だっけ、という方が多かった」(大村氏)。

「世界共通語」である英語を広げる挑戦

 TOEICは北岡靖男氏が発案し、1979年にスタートを切った日本発祥のテストだ。同年12月に行われた第1回の受験者数はわずか3000人余り。景気が下火になったり、時には大震災の影響を受けたりと、社会情勢によって変動はあったが、「基本的には日本が国際化するにつれて、企業もどんどん採用し、学生も就職に使えると勉強を始め、受験者数は伸びてきた」(大村氏)。

TOEICの受験者数は1990年代後半以降、順調に拡大。ただし、年間200万人を超えてから伸びは鈍化している
TOEICの受験者数は1990年代後半以降、順調に拡大。ただし、年間200万人を超えてから伸びは鈍化している

 2000年度には初めて受験者数が100万人を突破。11年度には200万人の大台を超え、近年は250万人前後で推移している(いずれもTOEIC Listening & Reading Testの受験者数)。話す、書く設問に特化したTOEIC Speaking & Writing Testsを新設するなど、時代に合わせてテストの内容も拡充してきた。

 しかし、未来は必ずしも明るくない。「これから少子高齢化が進み、学生の数も減っていく。テストの位置づけも変わっていくだろう。我々自身も進化しないといけない」と大村氏は危機感を募らせる。

 IIBCはTOEICを運営する団体として設立されたが、そもそもの理念は「人と企業の国際化」にある。人というのは、ビジネスパーソンに限らない。過去最多のペースで海外から観光客が押し寄せる今、日常生活で英語に触れる機会は格段に増した。一般の人々が英語に親しみ、英語で話すことそのものを楽しいと感じてもらう場をつくりたい。それが、これからの時代の存在意義となる。資格試験というイメージを拭い去り、テストに頼らない草の根のアプローチが必要だと考えた。

被災地の石巻市から再出発

 転機となったのは、2018年3月。「IIBC ENGLISH CAFÉ」に名前を一新し、宮城県石巻市に向かった。NPO法人石巻復興支援ネットワークからの要望を受け、地方から再出発することにしたのだ。

 東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市にもこの年、海外から大型客船の入港が決まり、外国語の案内充実は急務だった。多くの外国人が復興ボランティアとして足を運ぶ一方、大人向けの英会話スクールが市内に1校しかなく、市民が英語を学ぶ機会に乏しいことも課題だったという。

 そのため、英語初級者が英語を好きになれるようなプログラムに内容を一新。ネーティブスピーカーを派遣し、市内を英語で道案内したり、飲食店のメニューを英語表記にする相談に乗ったりと、地方のニーズをくみ取った中身に切り替えた。

 「地方では英語と接する機会がなかなかない。外国の方が来ても会話ができないと、街の方は困っていた。石巻でやって、我々もインスピレーションを得た。これを本格的に展開しよう、と決めた」(大村氏)。

 第2弾は18年10月、石川県金沢市。15年の北陸新幹線開業を機に、観光客が急増。今もホテルの建設ラッシュが続いており、外国人客が街中にあふれている。「受け入れる側として、せめて外国人に道を尋ねられたら、あちらですと返せるようになりたい、という素朴なニーズがあった」(大村氏)。

 金沢ではおもてなし講座に力を入れ、英語を話したい日本人と、日本に興味がある外国人をつなぐ交流イベントも企画。日本人は英語で、外国人は日本語でドリンクを注文するとワンドリンク無料となる「イングリッシュ・チャレンジ」で盛り上がった。

 続く18年12月には、熊本県益城町で開催。益城町は16年の熊本地震の際、被害の状況を外国人にうまく伝えられず、避難誘導に苦労した過去があった。そこで、災害時に使える英語を学ぶ講座を盛り込み、「机の下に隠れよう」などといった身を守る表現を取り上げた。プロバスケットボールBリーグの熊本ヴォルターズに所属する南アフリカ出身のチリジ・ネパウエ選手によるトークショーや、ハンバーガーの作り方を英語で学ぶプログラムも設けた。

 今回の東京はこれらに続く第4弾となる。渋谷の英会話スクール「We」と連携し、東京向けに打ち出したのが「ホビングリッシュ」。東京五輪を控え、街中に急増している外国人観光客と、趣味を切り口に楽しく気軽に会話できるようにと企画した。

 「実感したのは、ちょっと背中を押してあげると、皆自然と英語を話そうという気になること。日本には真面目に英語を学んできて、受験の過程で英語を嫌いになった人がたくさんいる。テストはあくまでもただのテスト。英語でコミュニケーションを取るバリアーをいかに下げるか、を考えていきたい」(大村氏)。

東京会場の日本酒講座は、酒好きという共通の趣味で、世代を超えて盛り上がった
東京会場の日本酒講座は、酒好きという共通の趣味で、世代を超えて盛り上がった

「未来の兆し」を英語で考える

 IIBCは19年2月、東京・台場で「KIZASHI」と題したトークイベントを初めて開いた。起業家やシンガーソングライター、ミュージカル俳優、脳神経科学者など、さまざまな領域で世界に挑んでいる6人の若者をゲストスピーカーに招き、自身の未来について英語で話してもらった。自らのボーダーラインを越えて挑戦する人の歩みを知ることで、「未来への兆し」を感じ取り、一歩踏み出す勇気を得る場をつくりたいという思いからだ。

 「外国語はいろいろあるが、英語は世界共通語。世界で活躍するということは、英語を使うことと表裏一体だと思う」(大村氏)。IIBCは12年から、その名も「地球人財創出会議」という、ゲストスピーカーを交えた参加型のイベントを継続的に開催している。イングリッシュカフェもニーズがある地方を中心に、年間3~4回開いていく計画だ。英語の楽しさ、奥深さをいかに発信していくか。テストという枠組みを超え、グローバル人材、地球人を育成するという高い目標に向かって突き進んでいく。

■変更履歴
大阪でのカフェ開催は17年9月ではなく、17年8月でした。お詫びして訂正します。 [2019/04/08 18:00]

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